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音楽 ジャズの推薦アルバム! アンディ・スニッツアー「クール・ストラッティン」! [音楽]

今日は音楽ネタっす。モダン・ジャズの超傑作アルバム(新作)を購入しましたので、紹介しちゃいますね。本当に素晴らしいですよー!

本文の前に、ワタクシが、ジャズに対して、日頃、思っていること(うっぷん?)を書きます。少し長い前置きになりますがスイマセン。。。

唐突ですが、皆さん、「書道」知ってますよねー?半紙に「日の出」とか「お正月」とか、筆と墨で文字を書く、あれです。小学校でやってましたよね?

で、ジャズって、書道にすごく似ていると思うんです

どこが似ているのか?ズバリ、「素人に理解できない(させない)事を、分かったような顔をして、ありがたがるところ」がです。

たとえば、あなたが書道の展覧会に行ったとします。なぐり書きとしか思えない「書」の作品を観てあなたはギョッとする。「いったい何がいいんだろ?」といぶかしく思います。

ところが、書の大家らしき人たちが会場でこんなやりとりをしている、「筆の運びが素晴らしいねえ」「意志がみなぎっているねえ」「空白の意味が深いねえ」。

あなたは、そんな批評がわからない。作品のどこがいいのかすら、わからないんだから。でも展示されるほどの芸術を分からないのは、自分の教養不足なんだろう、と馬鹿にされたような気分で、会場を後にする。。。。。。

上司.jpg

ははは。このしちゅえーしょん、まさにジャズ的、これですよ、これ

自称「コアなジャズ好き」の推薦する有名録音。CDを買ってみると、その内容に仰天&呆然です。ピアノやサックスがブイブイと自己主張。メロディがあるような、ないような。知ってる曲さえ、崩し過ぎで原曲が分からない。思いついたようなアドリブ攻撃。心地よくないなあ。そして、あなたはジャズを捨てるチャンチャン!

ジャズの名誉のため補足しますが、ジャズはメロディ、リズム、形式の「枠」を超え、瞬間の面白さを楽しむ音楽ではあります。「ジャズに名曲なし、名演奏があるのみ」というコトワザも一理はあります。

それにしてもです、コルトレーンの「至上の愛」はそれほど名作か?バド・パウエルは、そんなにすごいピアニストか?

それを愛するリスナーがいてもよい。でもこれが分からなければ、ジャズを語る資格なし」みたいな、エラソーで排他的で、自己満足の阿呆どものおかげで、どれだけジャズがつまらなくなっていることでしょうか?

書道」の例に戻ります。展開会でポカンとしたあなたは、作品ではなく「出口はこちら」と書いた看板の楷書文字をみて「上手いな!これ!」と感動--って場面、ありえますよね。(だって本当にうまいんだもん)。

能書きにまみれた「立派な書」より、出口案内の文字に心を動かされるジャズのあるべき姿は、こちらのほうだと思うんですよね。

強引にまとめますと、ジャズを「エラソーな文化」に祭り上げるなよ、と言いたいわけです。音楽に限らず、文化は、認知され、お金と結びつくとエラそーになる。ペダンチックになる。結果----つまらなくなる。(あらゆる芸術の宿命でしょうか?)

前置きが長くなりましたが、今日紹介するジャズは「立派で難解な書」ではありません。むしろ「立て看板の楷書」かもしれません。

したがってコアなジャズ・マニアには受けそうもありません。誰でもわかる「普通の演奏」をしているからです。マニア受けする「崩し」も、火を噴く「アドリブの妙技」もありません。エラソーな解説付きで人をケムに巻くような「難解」作品ではないのです。

しかし、楽しさいっぱいに、サックスの音が鳴り響きますよ。まさしくジャズの本領ではないでしょうか?私のようなジャズ素人も、素直に感動できる、文字通り「音を楽しむ」=音楽の素晴らさがいっぱいなんです!

クール・ストラッティン by アンディ・スニッツアー

1962年生まれのテナー・サックス奏者アンディ・スニッツアーのニューアルバムです。ワンホーンの4人編成。曲によってはオルガンが入るところが面白いですね。

アンディは、ロック、ポップス界で有名な奏者です。20代からローリング・ストーンズのツアー・メンバーなど華々しい経歴を持ち、ボン・ジョヴィ、クリスチーナ・アギレラのアルバム編集までやってのける才人。

ロック、ポップス界で培った経験から「ブヒブヒ・意味不明ジャズ」とは正反対の、分かりやすく、心地よく、でもジャズの醍醐味を味わえる演奏を目指しているのでしょうな(深読み?)

今回、スタンダード曲を並べていますが、全曲でセンス抜群、品の良いサックス・プレーが満喫できます。

注目曲は、1958年のソニー・クラークのハード・バップ名盤でアルバムタイトルでもある「クール・ストラッティン」でしょう。

アンディ・スニッツァー.jpgクールストラッティンオリジナル.jpg

クール・ストラッティンとは何?すまして歩く、意味だそうで、クラークのアルバムジャケット(上右写真)の有名な女性の脚を受け継いで、アンディの新譜ジャケット(上左写真)も女性の脚になってます。素足にヒール赤いカクテル+カットしたレモンを加え、ソフィスケートした嬉しい凝りようです。(良いCDはジャケットから分かる、というのは本当ですね)

さて演奏です。クラークの名演奏が金字塔のごとくそびえるクール・ストラッティンを、アンディはどう料理するのか?その答え=ごく普通に演奏です。小技で逃げない真っ向勝負!アンディの美質のブルージーな音色を活かし、テンポをゆったりめにとった、大人のクール・ストラッティン。おおっーーーとしびれましたね。

織田裕二なら叫ぶでしょう「世界陸上はどうでもいいけど---来たぁぁぁーーーー!!」(スイマセン)。

そう、何度も言いますが、アンディ・スニッツアーのサックスは、コア・マニアだけでなく素人リスナーにも楽しめる、メロディ重視のベーシック・プレー。小手先には逃げない、誰もがわかるだけに、高い演奏能力とセンスが求められます。それでいて「個性」を付加する訳ですから、彼の技量は並大抵ではありません。

そんな難題に挑戦する「勇気あるプレーヤー」であり、新作「クール・ストラッティン」は、アンディの高いモチベーションを反映した見事な作品といえましょう。

アンディシュガー.jpgアンディ・シニッツアーに興味をもった方には、7年ほど前に発売された前作「シュガー」もお薦めです。スタンリー・タレンタインの名作「シュガー」をアルバムタイトルに、ここでも真っ向勝負の演奏。ビリっときますよ。(ただし、タレンタインのアルバムジャケは「舌を出し、足の指をなめている」品の悪さのためか、さすがにアンディは採用していません。)

 

さて、次回記事も音楽ネタで、温故知新編「時代を超えても色あせない70年代のロック、ポップスアーチスト」をじっくり考えてみたいと思います。ではでは!!

アッシー映画男の昔のジャズ記事を読むクリックジャズ記事1ジャズ記事2

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NAO

こんにちは。

前衛的なものの価値については、「書道」「絵画」「音楽」「映画」ect・・・何をとっても能書きを並べたてる必要はないように感じますよね。

「感覚」。
そのものではないでしょうか?!
感じたまんま、それでいいと思います。私は。
あーだこーだ、能書きを並べたてる「評論家」ほど私は信用できません。(笑)

私も若い頃いきなり前衛的なジャズを聴いてしまったときは、「これがジャズってものなのかぁ~~?!」と、少しビビってしまったことがありましたが、今思えば、「好み」そのものなんだな・・・と。

前衛的なジャズでも、何か感じるものがあれば1曲だけでも耳に残っていたりするわけで・・・。
(あとは、不快感だけが残ったとしても・・・(笑))

書道にしても、行書の流れるような美しさを感じるものもあれば、楷書であってもふにゃらふにゃらしたギャルが書きそうな文字もあって、「最近の書道はこんなんなっちったの?」と、思ったこともあります。

「絵手紙」が流行ったときには、流れるような水墨画に心が洗われる思いで感動もしましたが、「こんな絵はあんまりもらってもうれしくないな・・・」と感じる、ゴツゴツした「どこが上手いんだ?」っていうような墨絵もあったりで…

ただ、前衛的な絵画の代表作ともいえるピカソの絵は、なぜか私は好きなんですよね。

ピカソを真似た現代美術など、数ありますが、どれもピンとは来ないんですが…。
なぜかピカソの絵は、人間の五感と心理をとらえているような感じがして、彼の作品の前に立つとしばし足を止めてしまいます。
(ピカソの絵だと知らなくても、足が止まってしまうので、私の中にはきっと根本的に惹かれる何かがあるんでしょうね)

というわけで、ジャズについては、私は頭が混乱するような、神経がビンビンに逆立つものよりも、心が安らぎ、まったりとした、朝でも昼でも夜でも、冬でも夏でも違和感なく聴けるものが好きですね。

ちなみに、音楽の種類(クラシック、ロック、ジャズ・・・など)は、映画のジャンル(アクション、SF、ドラマ、恋愛、コメディー・・・など)と同じだと思ってますので、やはりそのときの気分で、聴きたいものってありますよね。

なんだかまとまりのないコメントとなってしまいましたが、、、
前衛的なものがわからなければ、コレがわからない!というようなプロ意識丸出しの「評論家」の言葉は、私も不快に感じます。

いいじゃないの!良ければさっ!
って感じで、楽しめばいいんですよね。


by NAO (2008-03-20 13:50) 

アッシー映画男

To NAOさんへ、
書き込みありがとうございます。まったくおっしゃるとおりです。
どんな文化にも、前衛的、進歩的、マニアックなものは出てくるわけです。それには当然、良いものもあり、悪いものもある。
そうしたものに耳を傾け、目をむけることは大切ですよね。

問題は、「俺にはそれが分かる」という理由で、新たな素人ファンに対して「上から目線」で排他的発言をするバカ者がいることですよね。
特にジャズは、そうした「エラソー傾向」が著しいジャンルと思います。
(リスナーの年齢層が高いせいかもしれません)
実はワタクシ、コルトレーンの「至上の愛」が大好きだったりするわけですが、「バラード」もいいし「ジャイアント・ステップス」「ブルー・トレイン」「ソウルトレーン」もみんないいですよね。
ここまでくると、「正統」とは何か、という深い問題にはいってしまうので、まとまりがつきませんが、要は「いろいろなものがあって良い」という当り前の話に戻らないとダメだと思います。
話は少し違いますが、70年代は洋楽ファンがニューミュージック・アーチストを嘲笑し、80年代はパンクファンが既成ロックを否定し---と「他者を排他」することで、自分の嗜好の正当性を主張する、嘆かわしい光景が何度あったことでしょう。
NAOさんの言う通り、「人の好み」をとやかく批判する奴に、ろくなもんはいません。
一時は絶滅種と呼ばれたへヴィメタルを愛するワタクシは、「他ジャンルの否定」だけはしないようにしています(ちょっと、エラそーですかね)。
また書き込みをお待ちしております!


by アッシー映画男 (2008-03-20 22:32) 

NAO

ジャズ好きの上から目線・・・って言うのよくわかります。
これって日本人特有なんでしょうか?!

昔、同僚たちとの飲み会の後、JAZZ Barでもう少し飲もう!ということになったのですが・・・
なんか秋葉系風の人たちが沢山いて、これにも少々驚いたのですが・・・。
JAZZをBGMに愉しみながら飲もうと思っていたら、とても会話などできる雰囲気ではなく。
一言二言、ヒソヒソ話を同僚としたら、
隣にいた秋葉系のメタボ兄ちゃんに、すっごく睨まれて「しーー!」と言われてしまいました。

ホテルのラウンジや、欧米でのJAZZ Barというものとはまったく違っていて、決して音ひとつ(グラスと氷の音さえ)立ててはいけないようです。

「けっ!なんだいっ!JAZZなんてのは、ガチャガチャ、ざわざわした中で聴いても雰囲気が壊れないのがいいんじゃないかっ!」
と、ムカついたものです。(笑)

新宿のJAZZ Barでしたが、吉祥寺のJAZZ Barでも同じ感じでしたね。

そんなに音一つ立てずに静かな中で聴いていたいんだったら、コンサートにでも行けばいいのに。

JAZZ Barってのは、音とお酒を楽しむところじゃないのでしょうか?
え? 私の認識が違っていました?

私は、お酒やお客の会話の中、ボンボンと低く響くウッドベースの音やチャカチャカと快く鳴るシンバルの音に、何気なく体が動いて・・・
会話がない中でもまったりとお酒と音楽と楽しめて、ときどき思い出したように静かに会話をしたりするのがJAZZ Barならではの良さと思っていましたのに。

それ以来、日本ではクソ狭く、おたく系が集まるJAZZ Barなんてとこには行っていませんね~。

ホテルのラウンジで聴いている方がずっと心地よくよろしいですもんね。

by NAO (2008-03-21 12:47) 

ふくずみ

札幌のふくずみです。
アンディ・シニッツーのアルバム、楽しそうですね、買ってみようと思います。NAOさまのコメント、自分の体験と同じで、「そのとおり」とうれしくなりました。(文章がお上手ですが、雑誌とか音楽関係の方ですか?)。そういえば、スイング・ジャーナル(ジャズ雑誌)の、寺島さんというジャズ喫茶オーナーのコラムがあり、昨年、アッシー映画男さんやNAOさまと同じ意見を書いてました。「上から目線」の「エラそーな読者」からの反論も紹介され、雑誌コラムなのに本気バトルで楽しかったです。
by ふくずみ (2008-03-22 08:27) 

アッシー映画男

To NAO様、
ジャズバーってあんまり行かないんですが、ご不満、わかるような気がします(すべてのジャズバーが、そんな四角四面の雰囲気ではないとは思いますが。)
「上から目線」問題といい、「ジャズバー沈黙強要」問題といい、奥が深いテーマですね!ふふふ。
そういえば、ジャズ好きの人って、オーディオマニアだったりもしますね。音楽だけでなく「音」そのものに凝るので、雑談しながらのジャズなんてトンデモない!って人が出るのかもしれません。
私が好きな山口県のジャズバーはいいですよーー。出張で仕事の後、平日夜中にいったら、お客が私だけのときがありました。女性ピアニストが私だけのために「クール・ストラッティン」を演奏してくれました。
すっごいフレンドリーで、気軽に行ける雰囲気なんです。
希望するとウッド・ベースを弾かせてくれたりします。
ジャズがますます好きになる、そんなジャズバーで最高ですよ!

by アッシー映画男 (2008-03-22 21:28) 

0.1tonの男

モダン・ジャズどころか、音楽と全く関係の無い話なんですが、アッシー映画男様が、「書道」の話のところで張られている写真で書かれている文字・・・

なにげに皆さん、冷静にスルーパスしてますねえ・・・(汗)
からみづらいというか、取り扱いに困るという事なのでしょうかね?(笑)

ちなみに、アッシー映画男様の直筆でしょうか?
by 0.1tonの男 (2008-03-23 00:25) 

アッシー映画男

To 0.1tonの男様、
きましたか、その写真への突っ込み。。。実は記事の前半の文章が長すぎてあまりにも文字ばかりで味気ないので挿入してみました。
たしかに突っ込みようのない「お言葉」が書かれていますね。
これは、ワタクシが敬愛してやまない日本のボズ・スキャッグスこと(外見だけ)高田純次先生の書であります。
もちろん直筆ではなく、文庫本からのコピーですが。。。。
なかなかの名言ですよね!

by アッシー映画男 (2008-03-23 17:22) 

アッシー映画男

To ふくずみ様、
書き込み、どうもありがとうございます。ふくずみさんは、映画だけでなくジャズもお好きとはうれしいですね。(まだまだ引き出しがありそうですね)。

ワタクシも、ジャズ雑誌スウイング・ジャーナルは、毎月購入してパラパラと読んでおります。私のブログ記事内容は、自分では意識していませんでしたが、寺島さんのコラムの影響があるかもしれません。
ちなみに、スウイング・ジャーナルのCD評では、アンディ・シニッツアーのニューアルバムは特選ではありませんでしたね。
色メガネで見るせいかもしれませんが、あの雑誌の評者の皆様も、昔のビックネームをありがたがっていますよね。まあ、それはへヴィメタル/ハードロック雑誌のBURRNも同じなんですけど。

by アッシー映画男 (2008-03-23 22:43) 

Kelly

そうなんでですか?!
その山口県のとあるJAZZ Barこそ、私の描くJAZZ Barそのものの感じですね。
私が行った(というか連れて行かれたところは)、いずれも沈黙強要型Barでしたので、ホテル以外のJAZZ Barはそんなものかとずっと信じておりました。(ある意味トラウマになってましたね。(笑))

JAZZ好きが音にこだわるというのはよく理解できます。
沈黙強要型・・・に変形してしまったのも、なんとなくわからなくもないのです。
むか~しのJAZZ喫茶のイメージを追えば。
タバコの煙モクモクの中で、根暗っぽい人たちが静か~に目をつむってJAZZを聴いている様は、まさに強要せずとも、そこへ来る人たちに会話は無用って感じがしますからね。

しかし、上記に書いたJAZZ Barを振り返ると、それとはまた違うんですよね。(思い出してみると)

沈黙強要型JAZZ Barの共通点(店)は、客層が比較的若いということ。
ヴォーカルのお姉ちゃん目当てにきているのではないか?と感じること。
ある意味、昭和のアイドルの応援団(?)のような雰囲気がにじみ出ていた感じでした。

ふくずみ様のコメントによると、札幌にも沈黙強要型JAZZ Barがあるようですね。 やはり、何かしら組織的な陰謀を感じずにはいられませんね。(笑)

0.1tonの男様のツッコミには含み笑いをせずにはいられませんでした。
最初の記事にはこの写真が載っていなかったのに・・・
いつの間にか、挿入されており・・・ 
あえてサラリと流したところを指摘されたようで、苦笑でした。^^;

高田純次さんの書だと知り、それらしさにホッとしたような・・・(笑)
by Kelly (2008-03-24 13:14) 

0.1tonの男

皆さん、沈黙強要型JAZZ Barに対して、かなり憤りを感じておられる様ですね?

話が少々外れるかもしれませんが、この話を読ませて頂いて当方が感じたのは、日本人は何故か、音楽を聴くスタイルまでを他人に強要する事が多いのではないかという事です。

たとえば、ロックやアイドルのコンサートでは、ノリの良いナンバーが始まると、客席は殆どの人間が立ち上がります。
席から立つ事は悪いとは言いませんが、中には座ってじっくりと聞きたいという人もいる筈なのですが、周りの客が、なかなかそれを許しません。
座っている客は、何故か「立つんだジョォォ~」と心で叫んでいるかの様な表情で睨まれるか、冷たい視線を投げつけられます。
本当かどうか定かではありませんが、某有名歌手が、自分のコンサートでノリの良い曲を演っても席から立ち上がらなかった客に対して、「ノリが悪い」とヤジったとの噂を聞いたこともあります。

コンサートの拍手もそうですが、同じ曲を聴いても、それぞれ個人でノリ方は異なる筈なので、好きな拍手の叩き方をすれば良いものを、なぜか皆、同じタイミングで叩きます。
それも何故か、1泊目から「パン・パパン」と叩く、日本人特有のお囃子ビート。まるでマスゲームを見ている様です。
異なるビートで叩くと、「リズム感が無い」とか「協調性が無い」とでも言わんばかりの目で、これまた即座に周囲の人間から睨まれます。
アイドル系のコンサートは、特にこの傾向が強いと感じます。

海外でのコンサート風景をDVD等で見ますが、観客はみんな好きなように聞いている様に見えます。
聴き方まで強制するのは、日本だけの様な気がするんですよね~。

ちょっと意見が偏ったかもしれませんが、音楽は皆それぞれ、聞きたい様に聞くのが一番と書きたかった次第でございます。
by 0.1tonの男 (2008-03-25 02:11) 

アッシー映画男

To Kellyさま、0.1tonの男さま、
書き込みありがとうございます。
沈黙強要ジャズバーといい、マスゲーム手拍子ロックコンサートといい、どうやら、日本人は、音楽ジャンルごとに聴き方を「型にはめる」のが好き、ということですね。
話を広げると、クラシック音楽のコンサート。聴衆は微動だにしないのがルールのようで。でもクラシック曲にはけっこうノリのよいのもあるんですよね。チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」の3楽章なんて、スチャラカです---が、やっぱりコンサートの聴衆は死んだように(寝ている人もいるが)微動だにしません。
たまに、体を揺らしている(といってもちょっとですよ)人がいると、周りから、クラシックの聴き方を知らんなあとばかりの白眼視を受けます。
ホント、困ったものですよ。
さらに突っ込むと、クラシックは、楽章ごとには拍手せず、全曲完了して拍手する「風習」がありまして、これも妙。
いつぞや、ピアノのリサイタルで一楽章目が終わった時点で、あまりの素晴らしさに、一部の客から拍手が起きました。クラシックコンサートには珍しいことです。多くのエラそーな聴衆は「ケッ」とばかりに拍手してませんでしたが、ピアニストが、すっと立ち上がって、すんごい嬉しそうに拍手をした観客のいるほうにお辞儀したのを見て、「なあんだ、演奏者も、観客が素直に感動して拍手してくれて嬉しいんだ」と感じ入った次第。(もちろん、曲にもよるでしょうけど)。
結論は、0.1tonの男さん、kellyさん、NAOさんと同じになっちゃいますが、聞きたいように聞く、感動したら素直に表す、これに尽きるようですね。
町田康のように、音楽をかけながら、裸で踊る--というのはどうかと思いますが。。。

by アッシー映画男 (2008-03-25 10:40) 

アッシー映画男

To Kellyさま、
危なく「純次ネタ」をスルーするところでした。失礼!
記事に貼り付けた「上司の机でウ○コ」はあまりの見事なお言葉で、つい食いついてしまった次第です。相田みつを「人間だもの」と並んで、座右の銘(?)にしたいですね。
ちなみに、高田純次先生には「コンサートよりインサート」という危険な名言もありまして、語感的にも卓越したセンスを感じます。

by アッシー映画男 (2008-03-25 10:48) 

NAO

o.1tonの男様のコメント、実に同感です!

日本の盆踊りが、上記コメントを象徴しているように感じますよね。(笑)

そういえば、日本人は農耕民族であることが音楽にも影響していると何かで聞いたような、読んだような・・・

十把一絡げの概念は、きゅうりやナスやトマト、じゃがいも・・・何をとっても大きさ、形、粒がそろっていないとはじかれてしまうから。
人間にも個性を尊重しづらいのはそのせいかも知れませんね。

また、農耕民族としての日本人に備わったリズム感というのが、鍬を持って畑を耕すときの拍子というのがあるらしく、それがまさに0.1tonの男さんの書かれたリズムのようです。(盆踊りなど)

パラパラというダンス(?)もそうですが、みんなが同じ動きをすることに安心感を持つ人種なのでしょうね?!日本人は。


昔、マンハッタン・ジャズ・クインテッドのコンサートに行ったときのことですが、まさにアッシー様の言うとおり、クラシックのコンサートと同様の「規定」というか「作法」なるものがJAZZのコンサートにもあるのだと感じました。

しかし! 
感動するものは感動してしまうんです。
感動したら、いてもたってもいられなくなっちゃうのです。
我慢しろ、ったってそんなの無理です。
全身の毛が逆立って、鳥肌、ザワザワになってしまうんです。はい。


そのコンサートでは、ベースがセッションメンバーだったのですが、なんと19歳の青年。
その黒人の彼、ウッドベースでチョッピング~!
しかも連続技。

もう、体中、ゾワゾワものでした。

だのに~・・・ 誰一人として拍手する人がいないんです。

「え?! 曲が終わるまで拍手しちゃあ、いけないの?」
「感動しても表現しちゃあ、いけないの?」

そう思って数十秒は耐えていた私ですが・・・
もうダメ! 限界!
この感動を演奏者に伝えずしてどうするの?!

一人でパンパンパンパン!!!!!
力いっぱい拍手してしまいました・

ドドドドドド・・・
つられるように拍手喝采の渦。

なんだ・・・ みんな感動してるんじゃ~ん!
だったら、何を遠慮して我慢してたわけ~~?!

感動は伝わるもので、若いベーシストは一層チョッパーに力がこもる・・・。
拍手はおさまることなく激しくなる一方でしたが、それ以上に若いベーシストに火がつき演奏は止みません。
パート演奏の時間は、予定より随分超えていたでしょう。

いや~、凄い演奏だったのです。ホントに。

年配者の中で、若さみなぎる斬新な演奏を聞かせて(見せて)くれ、なんかこれこそJAZZの真髄「即興」を体で感じたのでありました。たまりませんでしたね。


ということで、お行儀よく聴くのも大事ですが、「感動」は時には「しきたり」や「作法」を超える場合もある、ということでした。

by NAO (2008-03-25 13:50) 

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