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映画 「アジャストメント」 運命調整局のオジサンたちの、レトロ風味は捨てがたいが・・・ [映画]

ここ2週間で観た映画3本に対して、ざっくり「星五つ」で評価をしちゃいましょう。

① 「キッズ・オールライト」  ★★★★★ (星5つ!の満点)

これは掛け値なしの名作です。辛口&変化球系のホームドラマですが(ひねり過ぎ?)、アネット・ベニングの凄味満点の演技を観るだけでも映画館に行く価値があります。中盤の緊張感の反動からか、ラストシーンのさわやかさに号泣~号泣~であります。ずばり、必見です!本年観た映画のなかで暫定2位、といたしましょう!

② 「パラダイス・キス」 ★★★★☆ (星4つ!)

北川景子さん大好きのワタクシとしては、観ないわけにはいきません!ストーリーはベタベタながらも泣けた。いいねえ、これぞ「日本の誇る女子コミック」の理想郷です。好みではなかった俳優、向井理さんも本作では実にステキ。ちなみに、ファッション界を舞台にした映画のわりに「うむむ・・・」と悩んでしまう登場人物のファッションとメイク・・・。正直なところ、北川景子さんは、冒頭のストレートヘアー&女子高の制服姿(「やぼったい」という設定)こそが一番、可愛いのでは?・・・という、ミもフタもないツッコミをしてはいけませんね。

③ 「アジャストメント」 ★★★☆☆ (星3つ)

ホント好きだよねえ、アメリカ人はこの手のハナシが・・・という、フィリップ・K・ディック原作のサスペンス系SFであります。設定&展開が食傷気味ゆえ、★(星)は3つとさせていただきましたが、意外や、この映画には(たぶん作った側も考えていなかった?)素晴らしさがあるのです。

というわけで、本日は映画「アジャストメント」について書きますよお!・・・って、3本のうち、一番、評価の低い映画について書くのかよ?

アジャストメント 2011年米

監督 ジョージ・ノルフィ 出演 マット・デイモン、エミリー・ブラント、テレンス・スタンプ、アンソニー・マッキーほか

アジャストメントP.jpgスラム街出身ながら上院議員を目指して選挙に出馬した若手政治家デビッド(マット・デイモン)。順調だった選挙活動中、つい羽目をはずし下半身露出という、スマップの草薙君的失態をおかして落選します。失意のなか、”偶然に”出会った女性エリース(エミリー・ブラント)に好意を持ちます。連絡先も交わさないまま、その場は別れた二人ですが、通勤バス内で”偶然に”再会した二人は、改めて「一目ぼれ」・・・運命の女性に会ったと舞い上がるデビッドですが、その直後、とんでもない事件に巻き込まれるのです。

謎の男たちが、自分の同僚に対しマインドコントロールしている「現場」に遭遇するのです。逃げるデビッドですが、男たちに拉致され「今観たことは絶対に口外しないこと」を約束させられます。

謎の男たちは「アジャストメント・ビューロー」(運命調整局)の者だと名乗ります。彼らは人間ではなく、人類を監視し、人類が間違った道を選択しそうになると”正しい運命へと調整”するのだと説明します。そしてデビッドに対して「二度とエリースには会うな。エリースと会うのは『正しい運命』ではない」と言い放ち、彼女の電話番号メモを焼き捨て、姿を消します。

しかし「会うな」と言われると、会いたくなるのが古今東西の人間の性ですねえ。意固地なデビッド君は、もう一度の”偶然”に賭け、エリースと出会った通勤バスに3年間乗り続け、ついに彼女を発見!

こうなると、どうにも止まらない~♪(なつかしいなあ)暴走デビッド君ですが、調整局がそれを見逃すはずがありません。あの手この手で二人の接近を妨害しますが、手にあまると、ついにハンマーの異名をもつ「伝説の調整員」(テレンス・スタンプ!)が登場・・・デビッド君の「運命」、いったいどうなるのか?

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さて、この映画。

人間は自由意志で、みずからの運命を切り拓いているようで、実は「運命はあらかじめ決められている」という予定調和説がテーマなんですね。その真実を知ってしまった主人公がコワイ目にあうわけです。

何がコワイか、というと、運命調整局からの「調整」というダイレクトな恐怖もさることながら、自由意思なるものが、なんら意味を持っていないという、虚無、なんですよね。人生や運命が決まっているとしたら、極論、死すらも決まっているわけです。そうなると今の努力や恋愛、自己存在すらも無意味になってしまう・・・。

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天才数学者にして哲学者だったライプニッツが、「世界とは、神が最善な選択をされた結果なのだ」とした予定調和説を唱えてから(表向きはそれを否定しても)西欧文化に数百年間、じっとりと根をおろしてきた世界観なんだよなあ、と、なんとなく腑に落ちてしまうわけです。(ちなみに、ワタクシ個人は、ライプ二ッツの「最善説」「予定調和説」をかなり強く支持するものです)

本作の主人公が決められた運命・・・正確には運命調整局のひいたレール、に逆らって、エリースとの愛を貫くことは、哲学的意味で自分を取り戻す、ということなんですね。

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・・・と無理に哲学っぽく語ってみたのですが、結局はアメリカらしく、精神性より娯楽性を優先したベタな映画であることは変わりません。運命調整局のオジサンたちの、わざとらしいオールド・テイストなファッション、人間ではないのに人間なみに「オレ、これで良いのか」と悩んでしまう半端な擬人化。そしてデビッドに翻弄される調整局員の手ぬるさ&右往左往っぷりは、関西芸人でなくても「いいかげんにしなさいっ!」とツッコミたくなる体たらくです。

こう書くと、いっきに冷ややか目線になるところですが、な、なんと、そこではない「ツボ」にワタクシははまりましたね。

この映画、SFサスペンス部分は別として、主人公デビッドと、ダンサーのエリースとの出会い、別れ、再会、そして名作映画「卒業」かあ?と言いたくなる後半、こうした”恋愛部分”が実にチャーミングでステキに描かれているのであります。二人の会話はユーモアとウィットに富んでるし、俳優の力量もあって二人が交わす視線や所作に「愛」が満ちているんですねえ。

SF映画でなく、恋愛映画に作りなおしたほうがいいんちゃうか?と思いました、マジで。

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しつこいですけど、この手の映画ってプロットばかりに凝って、登場人物の心の襞や葛藤、恋愛感情といった「細かい点」がオザナリになるのがふつうです。ところが「アジャストメント」は、そこをキッチリ描いていて好感が持てましたね。細部にこそ神は宿るのであって、そこにリアル感がないと、それこそ荒唐無稽な絵空事になってしまいますもん。

ということで、SFサスペンス部分は★2つ、恋愛ドラマ部分は★4つ、足して2で割って、総合評価「★3つ」とさせていただいた次第です。ははは。

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ところで添え物感がぬぐえない運命調整局の面々ですが、御大テレンス・スタンプさんが登場したときは、おおおーーっと感激しました。クリストファー・リーブ主演のスーパーマン映画(古っ!)での悪役っぷりを思い出しました。いや、むしろ、「イエスマン」の教祖様のほうだなあ・・・無表情でありながら、威圧感だけではない「味」を出しちゃう名優ですね、まさにはまり役でした、パチパチ。


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映画 「マーラー 君に捧げるアダージョ」 観て損のない音楽映画。しかしアルマ・マーラーが・・・ [映画]

いつの間にやら関東も梅雨入りです。いやな季節になりました・・・と時候の挨拶からはじめるほどブログ更新をさぼっていたわけです。あははは。

さて本日ご紹介の映画は、かなりマニアックです。有名音楽家の伝記映画(という表現も微妙だけど)。描かれる有名人は、クラシック音楽好き以外に食指が動かないであろうオーストリアの作曲家グスタフ・マーラー(1860~1911)であります。

実はワタクシ、クラシック音楽にゾッコン人間でして、CD保有数は約2000枚(←ここ自慢です)、昨年は、1年間にマーラーの全交響曲10曲(番号付き9曲+「大地のうた」)をコンサートで聴く快挙(?)も成し遂げたほどです(←ここも自慢ですぜい)。

ということで、映画「マーラー 君に捧げるアダージョ」は絶対に観ねばなるまい!と、いきごんだのですが、驚いたことに東京でさえ渋谷の1館のみ上映(納得できん!)。結局、出張先の大阪(梅田)で拝見したのであります。

マーラーと聞いて、ケン・ラッセル監督の映画「マーラー」(1974年)を思い出した方は、私に負けず劣らずマニアックですね。あの映画はすごかったなあ。ドイツ語圏の作曲家なのに、英語をぺらぺら話すのはご愛嬌として(イギリス人俳優が演じている)、うつ気味で体調めちゃ悪そうな晩年のマーラーがあまりにもツボにはまってました。汽車で移動しながら、過去の人生を反芻するマーラーさん。しかし、奇才ケン・ラッセル監督、一筋縄ではいきません。ブラックユーモアと奇矯な演出で味付けされ、キッチュなテイストは、正統な伝記映画とは言いがたい怪作です。が、それゆえ魅力的なわけです。バックに流れるマーラーの楽曲は、冒頭を交響曲3番(の第一楽章)で幻想的かつ不安な夢世界を描き、ラストは交響曲6番(のいわゆる「アルマのテーマ」)で希望を描く。選曲センスは抜群でしたねえ。

こんなケン・ラッセル監督の金字塔(?)を前にして、本場オーストリア・ドイツによる合作映画「マーラー 君に捧げるアダージョ」、どのように天才作曲家を描くのでありましょうか!?

マーラー 君に捧げるアダージョ 2010年 オーストリア/ドイツ

監督 フェリックス・アドロン&パーシー・アドロン 出演 ヨハネス・ジルバーシュナイダー、バーバラ・ロマーナー、カール・マルコヴィクス

マーラーP.jpgストーリーと直接関係ないのですが、大感動した点を書きます。それはバックに流れるマーラー楽曲(の演奏)です。本当に素晴らしい!既存録音からの切り貼りではなく、この映画のために、若手名指揮者エサ=ペッカ・サロネンさんがスウェーデン放送交響楽団を振ったそうです。これらを聴くだけでも映画館に行く価値があります、断言しますね。

昨年、サロネンさんの実演(フィルハーモニア管)を聴いたときの感動がよみがえりました。ウィーン・フィルとの来日公演(マーラー9番!)が別の指揮者に代わってしまい、チケット払い戻した痛恨の思い出さえ、今回の映画(音楽)で多少埋め合わせられた気分です。

ちなみに、エサ=ペッカ・サロネンさんは、俳優のジャン=マイケル・ヴィンセントに似たイケメンなのであります。どうでもよい話ですが・・・。

さて本題の映画について書きましょう。

「マーラー 君に捧げるアダージョ」、よい意味でソフィスケートされておらず、ケレン味たっぷりなところがおおいに気に入りました。(最初の20分、映画に入り込めずにムズムズしましたけど)

冒頭、スクリーンに”注意書き”が映し出されます。いわく「起きた出来事は史実、どのように起こったかは創作」。そのココロは何か?本作はマーラーの妻だったアルマが、夫の死後に出版した自伝に基づいて作られています。で、この自伝なるものが実に怪しく、執筆したアルマ有利に歪曲されているように思われます。マーラー=悪者(加害者)、アルマ=被害者の構図がありありですもん。長生きしたほうが得ってことで、ちょっとイラッとくるのですが、本作は上手い切り口で、そのハンデを乗り越え、痴話げんかを高尚な(?)「愛の物語」に仕上げたんですねえ。

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音楽家として苦悩する夫=マーラーをよそに、若いイケメン建築家と不倫セックス三昧の妻=アルマ。思わぬ形で不倫がばれ、ご夫婦&浮気相手の泥仕合へと発展します。絶望で精神混乱にいたったマーラーは、著名な精神学者フロイトのもとを訪れ心理療法を受けるのです。

フロイトの治療は「愛するがゆえ、妻に対し独善的に振舞う」マーラーの”欠陥”をあぶりだしてゆきます。空気を読めない音楽馬鹿マーラーと、頑固で容赦のない精神医学の祖フロイトの丁々発止のやりとりが実に面白い。マーラーのせっかち&自己中っぷりはフーテンの寅さながらにユーモラスであり、一方のフロイトは「セックスはしていたか?」という質問を何度も発し、マーラーを激昂させる・・・こんな調子で、なかなか大胆な味付けがなされています。

「英国王のスピーチ」のジョージ国王とローグの関係のように、相反する二人がやがて共感を抱いていく展開は、予定調和でゲンナリしそうですが、本作は登場人物を戯画化して、あえてリアリティを追求しない「逆手」が成功して、それなりに楽しむことができました。

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内容について、もう少し詳しく書きましょう。

20歳そこそこでピアノの名手、作曲までこなす当代一の美才女アルマ。19という年齢差を超え、音楽の絆で結ばれ、結婚したマーラーとアルマですが、最初のつまづきはマーラーが彼女に作曲を禁じたことでした。一度は音楽を捨て、従順な妻に徹しようとしたアルマですが音楽活動一辺倒の夫と気持ちが行き違うようになります。決定打は愛娘の病死です。自責の念から、アルマは「何か」を求め不倫に溺れてゆくのですね。(うーん、この女、自分の不倫をかなり正当化しとるなあ~おいおい。)

マーラーは、フロイトの助けで、自らの過去を振り返り、そこかしこに自分の「至らなさ」を発見するのであります・・・と書くと、ベタな主人公反省ドラマに聞こえましょうが、それ以上の「愛の本質」にまで思いをはせるのは、さすがは天才マーラー!(←ここまで創作するなよっ!)

うっすらと、ですが「希望」を見出したマーラー。フロイトとの「旅」を終えた作曲家の表情には、冒頭の絶望はありません。ラストシーン、素晴らしい音楽をバックにマーラーの独白がかぶります。

「愛は愛を、真心は真心を呼び起こす」

愛は奪うものではなく、与えるもの・・・うーん、なんだか、説教くさい空気にまとめてしまったが、今回はこんな程度でご容赦ください。

前述のように、ちょっと芝居がかった演出が鼻につきますが、真摯にマーラー夫妻の人生に向かい合った佳作だと評価しておきましょう。

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最後に一言。マーラーとフロイトを演じている俳優さんはバッチリでした。しかし、物語の台風の目であるアルマ・マーラーを演じている女優さんは(あくまで個人的好みですが)とても美女とは思えず、気の強いおばちゃんって感じでプチがっかり。劇中での彼女のモテモテっぷりが、妙~な雰囲気でした。ま、そんな点がヨーロッパ映画らしいよね、と納得しておきましょう。チャンチャン!


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映画 「アンノウン」 これは面白い!アイデンティティ喪失系映画のお手本のような作品です。 [映画]

本日は少々「分析口調」になりそうですが、ご容赦を。

映画「アンノウン」(公開中)であります。予想通り(?)、設定と展開が強引で、普通に考えるとスットコドッコイ映画のはずなんですが、ずばり面白かった!拍手喝さいを送りたいですね(皮肉ではありません)。映画好きの方は、バカにせず是非観て下さい、と申し上げたいっ!

もちろん「なんじゃあ、こりゃ!?」と拳を固くする方もいるでしょう。矛盾をあげればキリがありません。しかし、本作はオチもさることながら、主人公の心理的不安や葛藤、登場人物どうしのカラミに力点がおかれ、そのうえ、後半は派手なアクションシーンまで楽しめる、という「一粒で二度・三度美味しい(古いな~)」作品です。グチャグチャにならずに、上手くまとめており、やるなあ~と感心しましたよ。

本作は、数年に1回、お約束のように公開される、「主人公が自分を喪失する」あるいは「自分だけが周りと違う認識をする」というネタなんですね。欧米人って潜在的な”存在不安”があるのでしょうか、ホントにこの手のハナシが好きですよねえ。

たとえば数年前の「フォーガットン」というサスペンス映画。ジュリアン・ムーアが演じるフツーの主婦が、ある朝、息子がいないことに気づきます。いない、というのは、存在自体キレイさっぱり無くなっているわけです。息子に関するもの(写真、持ち物)は何ひとつ存在しない。周囲の人たちは「あなたに息子なんていなかったわよ!」と当たり前のように言う。主人公は、無茶苦茶、混乱するわけですね。どこへ息子は消えた?なぜ誰も息子を覚えていない?ま、この映画の「オチ」は史上まれにみるエキセントリックな破壊力がありますので、未見の方、DVDを借りて大笑いして下さい。

おっと、何を言いたかったかといえば、「主人公が、自分や家族のアイデンティティ(存在証明)を探し求める」というサスペンス映画が、ハリウッドには実に多いということでした。

「フォーガットン」以外にも、ジョディー・フォスター主演の怪作「フライト・プラン」。あるいは「ボーン・アイデンティティ」シリーズ。ニュアンスは違いますが、言葉の通じない異国(日本)での精神的孤立を描いたスカーレット・ヨハンソンちゃんの「ロスト・イン・トランスレーション」←これは良かった!

ただし、ほとんどの作品が「なんやねん、これ?」という脱力雰囲気に仕上るのは不思議です。それでもまだ作るか、この手の映画を?

あれれ、前置きが長くなりました。そろそろ映画「アンノウン」にとりかかりましょう。過去の同類映画とは、どー違うのか?を確認しちゃいます!

アンノウン 2011年米

監督 ジャウム・コレット=セラ 出演 リーアム・ニーソン、ダイアン・クルーガー、ジャニュアリー・ジョーンズ、ブルーノ・ガンツほか

アンノウンP.jpgアメリカの植物学者マーチン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、美しい妻リズを伴い、国際学会に出席るすためドイツのベルリンにやってきます。タクシーでホテルに着いた二人ですが、パスポートを入れたアタッシュケースを空港に残したことに気付いたハリス博士は、別のタクシーで「ひとりで」空港に戻ります。

このタクシーが酷い交通事故に遭うんですね。頭を強打した博士は、意識不明の昏睡状態に陥ります。病院のベッドで目覚めたハリス博士は、事故から4日も経過していることを知り仰天!医者の制止を振り切って、妻のいるホテルに向かいますが、そこから衝撃の展開が始まります・・・・。

妻は何事もなかったようにパーティで談笑しています。事情を説明しようとするハリス博士に対して彼女の発した言葉は「どちら様ですか?」。あっけにとられる博士、「からかっているのか?」。ところが、さらに驚くべきことに、妻の横には”自分ではない”マーチン・ハリス博士がいるではないか・・・・。

「自分がマーチン・ハリスだ!あいつは偽物だ!」と必死に主張する博士ですが、身分証明できるパスポートもなく、証明する人もなく、狂人扱いでホテルをつまみ出されます。いったい何がどうなったのか?インターネットで自分の大学のHPを見ても、ハリス博士の顔写真は「偽物」のほうで自分ではない。事故の打撲で、頭が狂ったのか?

ところが、あるきっかけで「自分こそがハリスだ!」と確信した彼は、事故タクシーを運転していた女性ドライバー(ダイアン・クルーガー)を見つけ出し、彼女の協力のもと、異国の地ドイツで、”自分がマーチン・ハリスだと証明する戦い”に挑みます。

さて、この映画。

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何が良いかと言えば、第一に、主人公ハリス博士を演じるリーアム・ニーソンさんの演技ですねえ。さすがはアカデミー賞俳優、上手いっ!自分を失う恐怖と不安もさることながら、愛する妻を自分を名乗る偽せモノ?に奪われた憤りが、ひじょーにリアルで良い。つい「分かる、分かる」と妙に納得です。すっかり感情移入しちゃいましたもの。最近は「特攻野郎Aチーム」「タイタンの戦い」など関西仕事が多かったリーアムおじさんですが、久しぶりに演技派の面目躍如といえましょう。パチパチ!

アンノウン1.jpg

第二の良い点は、脚本の素晴らしさ。前出のように、本作は、設定と展開にかなりの無茶があります。ですから「荒唐無稽なハナシを、そうと感じさせないプラス要素」が絶対に必要なんです。すなわち、脚本の出来にかかってる、と言って過言ではありません。登場人物、セリフ、展開で、観客をグイグイ引っ張れば、(個人的には)無理な設定も気にならない、いやむしろ、設定が無茶だからこそ面白く感じるわけです。

脇役(タクシー運転手、主人公の妻、その夫、etc)が、しっかり描かれていることも特筆すべき美点です。そこをおろそかにすると、主役も引き立ちません。最近は、脇役(の描き方)が雑な映画が多くゲンナリしてましたので、本作はより一層、素晴らしく感じましたね。

アンノウン2.jpg

第3の良い点は、上記と関係しますが名優ブルーノ・ガンツさんです。出番は少ないながら、映画を支えていましたね~。「ありえない話」を語る主人公の、少ない理解者となるユルゲンを演じています。

元東ドイツ秘密警察のメンバーで、人探しのプロ、という設定ですが、ガンツさんの、いかにもドイツ!という渋い存在感が抜群なんです(実際にはスイス人ですが)。

ブルーノ・ガンツ.jpg

ユルゲンが「敵」と対峙するシーンは、アクション皆無なのに緊張感バリバリ、映画のハイライトのひとつと言えます。ちなみにブルーノ・ガンツさんといえば、ヴィム・ヴェンダース監督の名作「ベルリン 天使の詩」の天使役がサイコーでしたね~~。数年前に、ヒトラーを演じていたのは余計だったかな?

ベルリン天使の詩.jpg

「アンノウン」、これ以上書くと、どんどんネタばらしになっちゃうので微妙ですが、ハリウッド映画らしく(?)、結果オーライ的ハッピーエンドである、とだけ申しておきましょう。

余談のツッコミ: 身分証明もできず行く先もない主人公が、女性タクシードライバー(ダイアン・クルーガー)に、「オレ、行くとこないので、あんたとこに泊めてくれ」と頼むシーン。これじゃあ新手の変質者だよ、お前・・・。って、それをOKする女性もどうかと思うが。

主人公の「敵」はプロフェッショナルをきどっているわりに、仕事の詰めがイマイチ甘い、という点はご愛嬌でしょう。「小さなことからコツコツと・・・」はサラリーマンをはじめ、組織の人間にとって座右の銘ですぜい。まあ、仕方ないか、人間だもの、みつを。

オチ的には、シュワちゃん主演「トータル・リコール」を思い出しましたけどね・・・おっと、そこまで言っちゃあいけません。

マーチン・ハリス博士の自分探し旅の結末、皆様もぜひ映画館でご覧くださいませ。そうそう、アクションシーンもなかなかのもんですよ。


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映画 2011年の期待のリメイク映画はこれ!「ロシアン・ルーレット」であります。 [映画]

映画サイトをチェックして、つくづく思いますが、最近のハリウッド映画ときたら、昔の映画のリメイク、TVシリーズの映画版、有名コミックスの映画化、ヒット作の続編、が実に多いですね。ゼロから映画を生み出す労力よりも、ヒットしたオリジナル作品をベースにすれば、楽ちんで集客も気込めるでしょ?みたいな安易さを感じます。

作戦は否定はしませんが、オリジナル作品を使うなら「どこを活かし」「どこを変えるか」、しっかり方針を絞って製作着手してほしいです。思想ゼロの焼き直しもつまらないけど、当ブログで紹介した「グリーン・ホーネット」(2010年)のように、グダグダコメディへのアレンジなど、オリジナルへの冒涜とも言えます。リメイク映画では、さんざんな思いをしてきたワタクシ、どうも評価が辛くなるのです。

20代、30代の映画ファンは「オリジナルを知らず」色メガネ無しに新作を楽しめちゃうでしょうから、むしろ羨ましいなあ・・・ああ、オヤジはいやだねえ(自分のことです)。

とはいえ、今後、公開(予定)のリメイク映画にもワタクシの大注目作はあります。当然ですが、リメイク版はまだ観ておりません。つまり「面白い」かどうかは保証の限りではありませんので、その点はご容赦を・・・。

「完成するのか?」と不安なのはオードリー・ヘップバーンの代表作「マイ・フェア・レディ」のリメイク計画。主役イライザ役に実力派キャリー・マリガンさんが決定したのは2年前。問題はヒギンズ教授役で、当初、ヒュー・グラントさんの名前が挙がっていました。しかし交渉難航したのでしょうか、いつまでも決定しないまま、ここにきて、「英国王のスピーチ」効果?か、なんと、コリン・ファースさんが急浮上。映画「ブリジット・ジョーンズの日記」のようなカケヒキ展開だ。こうなったらイライザ役も、レニー・ゼルヴィガーさんで良いんちゃうかあ?(年齢的に無理あるか・・・)

さて、今日の本題です。2005年のフランス映画「ザメッティ」(日本で2007年公開)を、ハリウッド・リメイクした原題「13」(←オリジナル映画の題名まま)、邦題「ロシアン・ルーレット」という作品であります。これが楽しみなんですねえ~~。

ロシアン・ルーレット 2011年米

監督 ゲラ・バブルアニ 出演 サム・ライリー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、ほか

ザメッティ.jpgオリジナル映画「ザメッティ」は、モノクロのインディース作品(自主映画)でした。公開当時は、アングラ的な扱いで限定上映ですが、公開したとたん、ハリウッドからリメイク申し込みが殺到した(らしい)スゴイ映画なんです。ワタクシは札幌のシアターキノという、小じんまりした劇場で拝見しました。

画面は60年代のヌーベルバーグ作品のような、ザラッと木綿の感触。淡々とした語り口ながら、主人公が巻き込まれる悪夢のような”殺し合い”への盛り上がり、脳天がキーンとなる緊張感。そして「オチ」のほろ苦さ・・・メジャー映画にはなかった良い意味の「手作り感」が堪らない名作であります。

(結局は、オリジナルの「ザメッティ」を褒めちゃう記事になっちゃいますね、スイマセン)

主人公は、貧乏な修理職人の若者。ひょんなことから内容不明の儲け話を知り、謎の手紙の指示にしたがい、好奇心半分で「そこ」に向かいます。目隠しされ、田舎の屋敷に監禁された彼に待ち受けていたのは、10名以上の「参加者」によるロシアン・ルーレット。そう、「ディア・ハンター」でデ・ニーロがやってた、あれです。回転式拳銃(リボルバー)に、1発、実弾を装着し回転させる。引き金を引き実弾が発射する確率は1/6。輪になって並んだ参加者は、前の相手の後頭部に銃を突きつけ、一斉に引き金を引きます。確率論的に、参加者の数名が死に、残りは生き残る。

これを、最後の1名になるまで続けるのです・・・生き残った1名だけが大金(賭金)を手にし、残りは全員死ぬと言う「デス・ゲーム」なのです。

この設定だけでもイヤ~な気分になるでしょうけど、映画「ザメッティ」の凄さは、ロシアン・ルーレット部分だけを煽情的に描いたのではなく(むしろ、その場面は淡々としている)、その局面に至るまでの映画的語り口、地獄の渦中に投じられた主人公の葛藤・・・といった”人間表現”の見事さにあります。

ザメッティ3.jpg

ちなみにオリジナル「ザメッティ」の主人公役は、監督の実弟らしいですが実にもう素晴らしい(てっきり、ヨーロッパで有名は若手俳優かと思ってました)。そして、脇役(ほとんどがオッサン)がまた、はまりに、はまりまくって、どうやったらこんな演出が出来たの?と目を疑いましたね。

ザメッティ2.jpg

さて、オリジナルの「ザメッティ」の話はこの辺にして。

2011年公開(予定)のハリウッド・リメイク版「ロシアン・ルーレット」

ザメッティ リメイク版P.jpgワタクシがリメイク版にも期待しちゃう第一の理由、それは、監督がオリジナル作品と同じくグルジア出身のゲラ・バルブアニさん、ということ。彼の美意識なくして、本作はありえないでしょって!

期待の第二の理由は、主演俳優です。

レオナルド・ディカプリオだか、ブラッド・ピッドだか、マット・デイモンだかの、いわゆるハリウッド・スターが演じるという噂もありましたが、私は大反対でした。主役は「屋根修理職人しているビンボーな若者」なんですよ。実生活と、演じる役は別とはいえ、一作で10億円以上のギャラを稼ぐ有名俳優に演じてほしくない!あのグダグダの「切羽詰まった感」は、有名ではない若手俳優に演じてほしい。

そんなワタクシの願いが届いたのか、主演はサム・ライリーさんに決定だ!おお、ナイス・チョイスじゃないか!(←それ、誰?と、ほとんどの方が思ってるでしょう、だから正解なんですよ)

ということで、6月公開予定の「ロシアン・ルーレット」おおいに期待いたしましょう!

お、そういえば、ジョン・カーペンター監督の名作ホラーSF「遊星からの物体X」もリメイク版ありとの噂ですが(YouTubeに予告編動画あり)、これはきっとツマラナイだろうなあ。あのヌメヌメした、キッチュで、スプラッターなテイストを、今のハリウッドで再現できるとは到底思えませんもの。そちらは、正直、期待ゼロであります。あっけなく。。。。


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映画 「ザ・ライト エクソシストの真実」、この手の映画にありがちと納得しようにも・・・いいかげんにせんかいっ! [映画]

GWです。GWといえば映画週間ですね(ワタクシが勝手に決めました)。当ブログも、3日に1回は更新できるか?うーん、無理ですね、無理だからやめましょう。

今日は、公開中の映画「ザ・ライト エクソシストの真実」について書きます。エクソシストとは、カトリックの悪魔払い師のことです。題名のライト(RITE)は「儀式」という意味ですね。で未見の方をガックリさせるかもしれませんが、過去のエクソシスト映画と比べ、本作には見るべきものは何もありません。ただしツッコミどころは満載です。映画を観終わった時、ワタクシはウキウキ気分でしたもの。なにせ、その後の1週間、本作の「ツッコミどころ」を肴に、仲間とおおいに酒を楽しみましたから!

半分皮肉(?)ですが、是非、この映画は観て頂きたいです。遊び心にあふれた方は、ルーカス神父ごっこ、もチャレンジください(室内で遊ぶときは、勢い余って壁に激突などしないようご注意を)。

さて、久しぶりにエクソシストを題材にした映画、「ザ・ライト」、どんなスゴいボケが隠されていたのでしょうか?

ザ・ライト エクソシストの真実 2010年米

監督 ミカエル・ハフストローム 出演 コリン・オドノヒュー、アンソニー・ホプキンス、アリシー・ブラガ、ほか

ザライトP.jpg名優アンソニー・ホプキンスさんが演じる凄腕エクソシスト(悪魔払い師)=ルーカス神父が、頭でっかちの青ビョウタン、マイケル神父とコンビを組み、少女にとりついた悪魔と壮絶な戦いを展開します。この悪魔、なかなか手ごわく尻尾を出しません。悪魔が出現した少女は、二重人格者のように卑猥な言葉を述べ、ふたりの神父を罵倒します。そのうえ神父のココロの傷をちゃっかり知っていて、ネチネチとそこを攻めてくるのです。(ああ、こうゆうヤツ、友達にはいてほしくないなあ!)

ベテランのルーカス神父も、この悪魔には手を焼いております。一回のエクソシズムで悪魔を払えませんので、少女は定期的に、神父の元へ通っているのでした・・・って内科の通院治療か!?

一方、若いマイケル神父は、さんざんっぱら科学で説明つかない怪異現象を目の当たりにしても、頑として悪魔の存在を認めようとせず、「少女は精神病だ、必要なのは宗教ではなく、医学的治療だ」と主張し、観客のわれわれをイラつかせます。だれだあ、こいつ、連れてきたのは?他に使えるヤツぁ、いなかったのかあ?と工事現場の監督気分になりますねえ。

そもそも、老練なベテラン & インテリ若手のエクソシスト・コンビという設定が、1970年代の名作「エクソシスト」(ウイリアム・フリードキン監督)の呪縛から逃れてないなあ、と思っちゃうのです。ベテラン神父を大物俳優が演じるのも伝統のようですね。「エクソシスト」では、なんと!あの名優マックス・フォン・シドーさんでした。ベルイマン監督作品以外で、はじめて彼を見ましたもん(驚いたなあ)。一方、「ザ・ライト」では、レクター博士ことアンソニー・ホプキンスさんです。演技は相変わらず胸やけするほどに「濃く」、もったいぶった仕草や表情は、日本だと平幹二郎さんか山崎努さんしか成しえない、まさしく”神の領域”でしょう。

もうひとりのエクソシスト=若手の神父を比較しましょう。「エクソシスト」では、陰気な雰囲気が魅力のジェイソン・ミラーさんが演じてましたが、「ザ・ライト」では真逆のアメリカーン・ヤングな、コリン・オドノヒューさんであります。どちらも、ベテラン神父ほど、どっぷりエクソシストではなく、どこかで迷いや疑いを持っている、という設定が共通ですね。ついでに顔が長い事も共通点?

ザライト2.jpg

こんなふうに、つい名作「エクソシスト」と比較しちゃうわけですが、決定的な違いがあります!

悪魔に憑かれた少女はリンダ・ブレアではありません(当り前か)。少女の首は180度回転(しません)、口からは緑の汚物(は出ません)、そして少女の体はベッドから浮きあがり(ません)。もちろんスパイダー・ウォークで階段を駆け下りたり(しません)・・・だめじゃん、それ。と、ガッカリするであろうフリードキン「エクソシスト」ファンのためでしょうか(?)、この映画、後半、とんでもない変化球を投げ込んでくるのです。

以下、思いっきりネタばれで恐縮ですが、書いちゃおうっと。

くだんの少女への悪魔払いは、結局、失敗し、少女は「悪魔の狙いどおり」死んでしまいます。いかにベテラン・エクソシストのルーカス神父といえども、がっくり凹んでしまい、ついには、神への信仰が揺らぎはじめます。そこを見逃す悪魔ではありません!

ザライト3.jpg

なんと、この後、ルーカス神父に悪魔がとり憑いてしまうんですねえ。えっ?そうくるの?

日本の諺でいえば「ミイラ取りが、ミイラになる」、今回用に表現すれば「エクソシストが、悪魔になる」(そのまんまやな)。映画的に言えば「アナキン・スカイウォーカーが、ダースベーダーになる」といったところでしょう。

悪魔とルーカス神父が手を組めば、裏(悪)も表(善)も知り尽くした強敵となります。にもかかわらず、彼の悪魔払いに挑むのは、前述の青ビョウタンこと若手マイケル神父であります。彼がエクソシスト学校で知り合った、女性ジャーナリスト(アリシー・ブラガ)がマイケルに加勢します。

でも、どう考えたって勝てないでしょ?ルーカス&悪魔軍には。だってマイケル君、大学卒業の肩書が欲しいために神学校へ入学した無神論者なんですから(卒業しても、神父になる気はないし)。当然、悪魔も、そこを鋭く突いてくるわけです。「神を疑う者が、何をほざく?」「それで俺を倒せるのか」と挑発します。

古びたルーカス神父の自宅一室で展開される、レクター博士・・・じゃなく、悪魔VSマイケル神父の戦いは、どんな決着を迎えるのか・・・とくにハラハラもせず、ぼんやり眺めていると、案の定、さんざん痛めつけられるマイケル君。ところが窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、じゃありませんが、マイケル君の放った一言に、悪魔がタジタジとなり、いっきに形勢逆転だ!9回裏満塁逆転ホームラン!でも、そのマイケルの言葉も、わかったようなわからんような・・・「我れ思う、ゆえに我れあり」、そっちじゃなく、アリストテレス的なレトリックの世界でね。むしろ禅問答?

結果オーライ的に、悪魔との激闘に勝利したマイケル神父と女性ジャーナリストの若手チーム。文字通りに「憑き物が落ちた」ルーカス神父。ひと仕事終えた達成感に、全員、すっきりと爆睡し、さわやかな朝を迎えましたとさ、チャンチャン・・・って、修学旅行の枕投げじゃあるまいし、オレなら、絶対に、一秒たりとも、この家には居たくないよ!柱の陰にまだ悪魔がいるかもしれないじゃん!そんな懸念をものともせず、場面はすでに朝。洗濯したての真っ白なワイシャツでダンディーに決めたルーカス神父。

ラストはハリウッド映画にありがちな、ベテランと若手のユーモラスな憎まれ口合戦。締めに「元気でな」「いえ、あなたこそ」。笑顔で手を振る水戸黄門御一行様でしたとさ・・・おいおいっ、これで終わりか!

なんだか、スゴイ事になってますね。いいのかな、これで。

ザライト1.jpg

勢いでざっと書きましたが、本作のツッコミどころは、まだまだ、こんなもんではありません。どうか安心して劇場で楽しんでください。

しつこいですが(ホントにね)、たとえば、

ルーカス神父が、少女に悪魔払いをする場面。悪魔と丁々発止の口論をしている最中に、神父の携帯電話が鳴るのですが、神父、その電話に出ちゃうし!「今、それどころじゃないんだ!後でかけ直すってば!」って・・・おいおいっ!「悪魔払いの最中は、携帯電話の電源はOFFにするか、マナーモードにするように」って、電車の放送でも、しつこく言われますよね?困った神父さんだなあ、もう。

次。悪魔に憑かれたルーカス神父、椅子に縛りつけられてましたが、その縄をいとも簡単に抜け、マイケル神父を超人的な力で投げ飛ばします。しかし、相手が大けがしないよう、ちゃんと手加減してるんですなあ・・・うーん、気配りの悪魔だ。気絶したマイケル神父を尻目に、今度は、女性ジャーナリストを壁に追いつめ「悪魔の子種を植え付けたろか!」とか言いながら、激しくにじり寄り、スキンシップ、会社でやればセクハラ的行為・・・に及ぶのですが、いくら、体を押し付けてもね、相手はジーンズをはいたままだから、何も起きませんぜ、ダンナ。悪魔君の「挿入本気度」を疑ってしまいました。意外と世間知らずなのか?悪魔君に必要なのは性教育か?それとも悪魔君のナニは、先端が矢印みたいに尖ってて、ジーンズなど簡単に貫くというのか?それ、悪魔の「尻尾」のほうだよな・・・と、ボケの連鎖は続きます。

思い出すほど、ツッコミを入れたくなる「ザ・ライト エクソシストの真実」。結局、どこが真実だったのか、分からずじまいでした。邦題に問題ありか?

蛇足ですが、1970年代の名作「エクソシスト」の続編、「エクソシスト2」、やはり大物俳優リチャード・バートンが関西仕事を展開してて痛快だし、「エクソシスト3」ではパットン将軍ことジョージ・C・スコットが「なぜこの名優が、この映画に?」と疑問をぬぐえない大活躍と、両者必見であります!(個人的には「2」は酷いと思うけど、「3」は嫌いじゃありません)。

ここ10年に作られたエクソシスト映画だと、アンネリーゼ・ミシェル事件(実際にあった)を基にした法廷劇「エミリー・ローズ」が良かったです。弁護士役ローラ・リニーの頑張りが映画を支えました。ラストの、なんともほろ苦い感じ・・・。番外編は、映画「エンド・オブ・デイズ」で悪魔役だったガブリエル・バーン(顔が怖いよ)が、一転、神父を演じる「スティグマータ 聖痕」。こちらもヒマがあったらご覧くださいませ。

収拾がつかなくなったので、このへんで、さようなら。


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映画 「フェイル・セイフ」(邦題=未知への飛行)は、シドニー・ルメット監督の最高傑作です! [映画]

2週間に1回の更新・・・当ブログ、居心地良いペースに落ち着いてますねぇ~~。こんなグダグダにも関わらず、意外や読者がおられ、奇特な方から「もうちょっと、マメに更新でけへんの?」とご鞭撻をいただきました。しかしワタクシ、「人間なにごとも、自発性が大切っす!」と、新入社員向け訓示のような切り返しをするのです。あはは。

こんな担当者ですが、御社のために頑張りますので今後もよろしく・・・ってお得意さんとの名刺交換かよ?

さて、別の方からも、ご鞭撻いただきました。それは・・・

前々回の映画「パリ、テキサス」の記事は良かった。DVD借りて観た、すんごく良かった。ナスターシャ・キンスキー、最高だったねえ。と。

そして。

新作映画にチャチャもいいが、昔の映画をもっと紹介してはどーなの?と

うーん。ステキなアドバイスです。映画ブログって「新作」を取り上げると勝手に思い込んでましたけど、そんなシバリ、あるはずもない。さっそく本日、極私的に惚れ込んでいる「昔の映画」をご紹介しましょう(切り替え早っ!)。しかし小学校時代から”映画通”と呼ばれたワタクシ(←ここ自慢っす)、漠然と作品を選ぶと、紹介したい映画は百本を越しちゃいます。なんらか”絞り込みキーワード”が必要であります。

今月9日、アメリカの偉大な映画監督シドニー・ルメットさんがお亡くなりになりました(享年86歳)。ルメットさんといえば「12人の怒れる男」(懐かしいな~)、「蛇皮の服を着た男」「質屋」「セルピコ」「狼たちの午後」「ネットワーク」など硬派な作風で知られる名監督ですね。(個人的には「デストラップ、死の罠」「ファミリー・ビジネス」という”評判の悪い映画”も好きだけど)。

そこで今回、大好きなルメット監督作品に注目です。なんといっても「12人の怒れる男」が有名ですが、他のお薦め作品、というより、絶対に観てほしい1本をご紹介します。掛け値なしに素晴らしいです!「なんや、それ?」と思う(であろう)若い方にもぜひお薦めしたい。その作品とは・・・

FAIL-SAFE (邦題=未知への飛行) 1964年米

監督 シドニー・ルメット 出演 ヘンリー・フォンダ、ラリー・ハグマン、ウォルター・マッソー、ダン・オハーリヒーほか

映画ファンの間では、最悪の邦題として有名な作品です。「未知への飛行」って、この邦題つけたヒト、ほんとに映画を観たのでしょうか?ツボをはずすにもほどがあります。したがって、以下、原題「フェイルセイフ」を使わせていただきます。

未知への飛行P.jpg

1960年代の時勢を反映し、米ソ冷戦時代の「仮想核攻撃」を描いていますが、身の毛もよだつ、どころか後半なんて緊張で息止まるぜ、くらいのもんです。名優ヘンリー・フォンダさんが、あの顔で、アメリカ大統領を演じているのですが、この映画のスゴイところは、基本、戦闘シーンはゼロ。全編、大統領執務室、政府TOPの会議室で、ときおり挿入される爆撃機のコックピットと離着陸映像(撮影許可受けられずに盗撮したらしい)、そして、たぶんニュース映像からパクったのであろう爆撃機の飛ぶ様子が少々。そうです、「12人の怒れる男」の99%以上が、陪審員室で繰り広げられたように(ここでもヘンリー・フォンダがスゴい!)、映画「フェイルセイフ」も徹底した密室会話劇(後半は電話劇)なのです。

それでも、まったく不足を感じさせない、いや、だからこそスリリングで圧倒的インパクトを持つ作品になったと思います。映像はモノクロですが(当時すでにカラー映画が普及していたにもかかわらず)、暗めに強調された陰影が、本作にプラスに働いていますねえ。

ストーリーはいたって簡単です。不幸な偶然(必然?)が重なり、4機だか6機の編隊で飛んでた米軍爆撃機に「モスクワを攻撃せよ」と間違った命令が届いてしまう。攻撃とは、すなわちモスクワに水爆を落とせ、という意味であります。

そりゃあもう大騒ぎです。でも間違った指令なんだから、取り消そう、ね?ってなもんで、米軍司令部は爆撃機に命令の無効を伝えるんですね。ところが妨害電波だの(これ皮肉にもソ連が発信していたことが後で判明)、人的ミスだので、水爆を積んだ機は、どんどんモスクワに向かってしまう。

こりゃあマズイよ。

さて、ここで映画題名「フェイルセイフ」の用語解説です。われわれエンジニアが通常使う意味は「どんな最悪の事態でも、最後の安全策が働くように設計せよ」ですが(某原発事故でそれも形骸化した感はあるが)、この映画においては、さらなる”究極の意味”を持つのです。

フェイル・セイフとは「この一線を越えたら、後戻りはできない」、すなわち、アメリカ大統領から取り消し命令が出ようと、爆撃機のメンバーが疑問を感じようと、そのラインを越えたら初期命令(敵への攻撃)が遂行されてしまう、という限界点のことなんです。

そして水爆を積んだ爆撃機は着々と、その「フェイル・セイフ・ライン」に近づいている!

タカ派、ハト派が入り乱れ、激論が繰り広げられるのですが、とにかく、くだんの爆撃機(味方ですよ)を「撃ち落とす」ことが決定。しかし作戦は成功せず、数機を逃してしまう。

ついに、フェイルセイフラインを越えた爆撃機。ヘンリー・フォンダ演じるアメリカ大統領は、ソ連の首相にホットラインで電話し「ソ連への攻撃指令は当方のまちがいだ。我が軍の爆撃機を撃ち落としてくれ」とお願いします、が、ここでも1機をとりこぼして。。

未知への飛行1.jpg

もうダメ・・・。

モスクワは水爆で壊滅直前です・・・アメリカ政府の中には、これを機にいっきにソ連を叩きつぶし、アメリカで世界支配だあ、と暴論ほざくバカも現れ、うわあ、どうなるどうなる。

ワタクシも、ここでコメントをやめたいけど、新作映画じゃないのでネタばれ!で行きます。

アメリカ大統領は、モスクワのソ連首相に、こう伝えるのであります。

「頼むからアメリカに報復攻撃をしないでくれ。そんなことをしたら、報復の連鎖で、全人類が滅亡してしまう」

そして次がスゴイ。

「もしモスクワに水爆が投下されたら、アメリカはそれに見合う処置として、ニューヨークに水爆を投下する」

このシーンの、ヘンリー・フォンダの顔のアップ!苦渋の選択とか断腸の思い、とか、そんなもんじゃない。全面核戦争を回避するため、自国の大都市に水爆を投下・・・この決断。大声で叫ぶでも、机をたたくでもない、静かな演技に、かえって凄味が漂います。どうです、名優の、稀代の名演技とはこれですよ、これっ!

観客の緊張もここに極まれり。呆然つーか、唖然つーか。

そして、ラスト5分。さすがにそこまでのネタばれはいたしません。さあ、モスクワは、ニューヨークは、いったい、どうなると思いますか?

偶然なのか、本作と時同じくして、同じテーマかつ同じくモノクロで、スタンリー・キューブリック監督が「博士の異常な愛情」という映画を作っています。これも大好きな作品ですが「博士の・・・」はブラック・コメディ。ピンク・パンサーのクルーゾー警部ことピーター・セラーズが映画史に残る(であろう)名演技をご披露しています。ちなみに、ラストはキノコ雲。

それとは全くテイストが異なる、超シリアスな「フェイルセイフ」。しつこいですが、ラスト、どうなっちゃうと思います?

てなわけで、大好きな「フェイルセイフ」を熱く(暑苦しく?)語った満足感。ブログってストレス解消に最高のツールですねえ、って、自己満足かよ!?つーか、ワタクシにストレスないし。

あーーーっ、大変なことを忘れていました。

本作で大統領補佐の通訳(かな、記憶あいまい)という重要な役を演じている俳優が、あの、ラリー・ハグマンさんなのであります!ん?知らない?無理もありませんねえ。昔の話、そのうえ、俳優名を知らない方が圧倒的に多いでしょう。アメリカのTVコメディ(30分もの)に「可愛い魔女ジニー」という、ツボに暮らすチャーミングな魔女が恋人というハナシがありまして。ハクション大魔王?バリエーションみたいですが、破天荒な魔女ジニーに翻弄される主役男性こそが、ラリー・ハグマンさん!

はいっ、この写真を見て、「ああ、彼ね」と思い当った方、友達になりましょう。再放送しないかなあ。

ラリーハグマン.jpg

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映画 「ザ・ファイター」拝見。「ロッキー」の感動を超える名キャストの名演技に震えました! [映画]

「ザ・ファイター」を観ました。2011年アカデミー賞では作品賞は逃したもののバットマンことクリスチャン・ベイルさんが助演男優賞、メリッサ・レオさんが助演女優賞をゲットしました。ずばり猿でも分かる感動作であります。

この記事を読み終わったら、未見のかたは、即、映画館に出向き本作をご覧いただきたい。ドロドロ家族模様と、それをバネに(?)ボクシングで頂点を目指す主人公の姿に、お約束と分かっていても、ガツン!とノックダウンされることでせう。

ポスターからは「ありがちスポーツ根性もの」を予想したワタクシですが、とんでもない。出演者の鬼気迫る演技(とくにクリスチャン・ベイル!)が、本作を、お涙頂戴ではない深遠な人間ドラマに高めたのであります。うーん、われながらカッコ良い表現だ、と自画自賛。

名演技のクリスチャン・ベイルさん、エイミー・アダムスさん、メリッサ・レオさんを筆頭に、演技微妙ながらマーク・ウォールバーグさん(一応主役です)が相まみえる「普通でエキセントリックな」物語に、ぶるっとくることでせう。

ザ・ファイター 2010年米 

監督 デビッド・O・ラッセル 出演 マーク・ウォールバーグ、クリスチャン・ベイル、エイミー・アダムス、メリッサ・レオ ほか

ザファイターP.jpgボクシング映画といえば、デ・ニーロ主演&スコセッシ監督の「レイジング・ブル」を真っ先に思い浮かべるワタクシです。もちろんスタローンさんの「ロッキー」シリーズも、変わり種として女子ボクシングのイーストウッド監督「ミリオンダラー・ベイビー」も素晴らしかった。名作かは別として、日本でも「あしたのジョー」が今年公開されましたね。

ボクシングという競技に対し、われわれは勝ち負けの結果だけでなく、「忍耐」「克己」「自己犠牲」といったストイックな精神性を見出してしまうのでしょう。スポーツというには、あまりにプリミティブな「殴り合い」ですから、その”生理的痛み”は、映画ネタとしてはうってつけです。

本作「ザ・ファイター」は、そうしたボクシング映画の本質をキッチリ把握しつつ、抜き差しならない家族愛というフレーバーを加えたのが新機軸であり、見事にはまった、というわけですね。

ミッキー・ウォルド(マーク・ウォールバーグ)は田舎の三流ボクサー。連戦連敗の彼が、ボクシングを続けるのは、自らののぞみではありません。かつての栄光にしがみつく元プロボクサーの兄ディッキー(クリスチャン・ベイル)、息子のマネージャーを決め込み悦に入る母親(メリッサ・レオ)、そして6人の姉妹たちの過剰な期待を受け、ボクシングを止めることが出来ないのです。

家族の「濃すぎる愛情」はミッキーをがんじがらめにします。口応えのひとつも出来ません。そのうえ兄ディッキーは、コカイン中毒で身も心もボロボロ。刑務所を行き来する札付きのワルで、周囲も持て余しています。

うつうつとした日を送るミッキーは、酒場で働くクリスティーン(エイミー・アダムス)と知り合い恋に落ちます。クリスティーンは、ミッキーを支え「家族と手を切り、自分の正しいと思う道を進む」ようアドバイスします。そんなとき、兄ディッキーが窃盗事件を起こし刑務所へ・・・ミッキーまでケンカに巻き込まれ拳を痛めてしまう。こうして、彼はいよいよ人生の岐路に立ちます。

ザファイター1.jpg

さてこの映画。

よくある話ですが、出来の悪い家族が全員そろって、唯一出来のよい息子(あるいは娘)に期待をかけちゃうパターン。本人にとっては重荷以外のなにものでもない。ところが、「良かれと思って彼を応援」している家族は、本人の自発性などくそくらえ!ってなもんで、とにかく押しつけがましい言動を連発します。ああ、恐るべしはベクトル違いの家族愛・・・。

本作は、家族の呪縛から脱却して、自らの意思でボクシングへ向き合い、頂点を目指す主人公ミッキーの「成長物語」なのですね。

ザファイター3.jpg

しつこいですが、映画中盤、ストーカーまがいの家族愛に、観ているコッチまでイライラ~ムカムカ~とフラストレーションたまりっぱなし。悪役?の母親=メリッサ・レオさんと、兄役=ベイルさんの芝居があまりにも上手いんだもの・・・こんなバカ親、バカ兄は、一発ブン殴ってやれ!と主人公に声をかけたくなります。ところが物語は(ある意味、予想どおり)、暴力で何も解決はできないよ、「愛の力」こそすべてだよ、という、KANの歌(懐かしいなあ)の世界に進むのであります。

アツレキがあったからこそ、より強固になる家族の愛と絆!

本当の意味で、「家族一丸となって」目指せ、栄光!

それまでクズ?だった面々が、後半「いい人たち」に変貌(改心?)するのはアザトイけど、このさい、良しとしましょう。

お膳立ては出来ました。

こうなったら、主人公は「てっぺん」取るしかないでしょ!・・・って、この映画は「クローズ ZERO」かよ?

クライマックスは怒涛のファイト・シーン。ミッキー、恋人クリスティーン、家族たち、そしてわれら観客の「想い」がひとつになって世界タイトルマッチに挑む主人公。ガンバレー!ガンバレー!完全に肉体を作りこんできたマーク・ウォールバーグさんの独壇場であります。この俳優さんも、昔はワルで名が通っていました。映画のストーリーと、本人の人生が重なり合ってる・・・深読みかな?

忘れてはいけません。ディズニー映画「魔法にかけられて」で三十路お姫様を怪演したエイミー・アダムスさんが、意志の強い恋人役で大健闘でした。いまや演技派の誉れも高く、今後は、スーパーマンの恋人役や、ジャニス・ジョプリンの伝記映画で主人公をつとめるといいます、期待しちゃうなあ。。

ザファイター2.jpg

そしてもう一度、クリスチャン・ベイルさんを賞賛しちゃいましょう。「マシニスト」では役作りのために30kg減量したバカ役者・・・じゃなく、役者バカの彼。今回、麻薬中毒者を演じるために10kg以上減量し、頭髪を抜くまでしての大熱演。「太陽の帝国」の子役時代からファンであるワタクシは、彼の役者魂に感激ひとしお。これなら「英国王のスピーチ」のジェフリー・ラッシュさんに打ち勝ってアカデミー助演男優賞受賞も納得であります。

蛇足ですが、ミッキーが世界タイトルマッチで入場テーマに使った曲こそ、ワタクシが大好きなホワイトスネイクの名曲「HERE I GO AGAIN」です!大一番にのぞむ兄弟が目を閉じ、場内放送に合わせ歌詞を口づさむシーンにワタクシは泣きましたよ!いったい、どんだけ盛り上げるんだよって。デヴィッド・カヴァーデル御大、あなたの歌声は世界を変えますねっ!(曲を聴きたい方は→ここをクリック

素晴らしい映画を、ありがとうございました!

ザファイター4.jpg

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映画 「ツーリスト」 アンジーと、ジョニデの共演ですから、ツッコミもほどほどに・・・・ [映画]

約1か月ぶりに新作映画を拝見しました。春休みシーズンのせいでしょうか、お子様向けアニメが幅をきかせ、徒歩圏内(千葉県松戸)のシネサンシャインに選択肢がほとんどなく、消去法的に「ツーリスト」を拝見しました。

ジョニー・デップと、アンジェリーナ・ジョリー(語感が好きで、最後に「ナ」をつけてしまいます)という、ハリウッド二大スター「初」共演がフレコミであります。しかし、こうゆう話題作にこそ、危険(=滑り)の匂いを嗅ぎっとってしまうワタクシ。ああ、怖いなあ。

さて、映画を観た結果は・・・・。

ツーリスト 2010年米

監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演 ジョニー・デップ、アンジェリーナ・ジョリー、ポール・ベタニー、スティーヴン・バーコフ、ディモシー・ダルトン他、

ツーリストP.jpg観終わった感想は「お?意外に面白いじゃん」。ただし、これってジョニデとアンジーというビックネーム共演の「プラスポイント」を加えての評価です。

率直に映画(の展開とオチ)だけみると「責任者、出てこい~!」と叫びたくなる、かなり強引マイウエイな作品なんですねえ~。近頃の映画ラストって、どんでん返しどころか、二段オチ、三段オチ、と「ひねり」がエスカレート傾向にありますが、本作など、究極ではないでしょうか。

うーん、モノゴトには限度、つーものがあるのではないかな・・・日本は自粛ムードですが、ハリウッド映画関係者には、このタイプの強引さを自粛してほしかったりして。

アメリカ人数学教師フランクは、妻を交通事故で失い、傷心を抱えベニスにやってきたツーリスト(旅行者)。長距離列車の車中で、謎の美人エリーズからナンパ・・・いや、声をかけられ食事を共にした彼。ベニスではエリーズから最高級ホテルへと誘われ、次第に彼女の虜となっていきます。

新宿だったら100%、美人局(つつもたせ)という状況ですが、フランクが巻き込まれたのはもっと大きなトラブル(規模の大きな美人局、という意味ではありません)。組織から20億円近い大金を持ち逃げした男と間違われ、殺し屋から逃げまどうはめに・・・エリーズとは何者なのか?自分を道具に使ったのか?しかし殺されかけたところを、エリーズに救われ混乱するフランク・・・。

ツーリスト1.jpg

エリーズ役のアンジェリーナ・ジョリーさんは「ソルト」を彷彿とさせる沈着冷静なクール・ビューティっぷり、さすがの貫禄です、魅せてくれますねえ。一方、彼女に"スカウト"されるフランク役ジョニー・デップさんはいつになく「普通の役」でして、映画中盤までは違和感が否めず。グダグダな海賊船長ジャックや、剃刀で人殺ししまくる理髪師、白塗り顔の帽子職人と、エキセントリックなイメージが定着していただけに、一般市民のジョニデは微妙かな、なんてね。

映画のストーリーですが、推して知るべし、フランクとエリーゼの間には恋心が芽生えます・・・おいおい、簡単にそうなるかよ?などとツッコミはいけません。これこそ「映画的お約束」ですから。ここは大人の対応をお願いしますね。

ツーリスト3.jpg

そして、20年前ならいざ知らず、これだけの情報化社会で、一般市民(数学教師)と国際手配犯を勘違いするなんて、到底、受け入れられない設定だぜ!と鼻息荒くしましたが、そこまでは滑っておりません。フランク君は意外に早く身の潔白が証明されます。あー、よかったね、アメリカに帰国しチャンチャン・・・って、それじゃあ、ジョニー・デップに大枚の出演料を払った意味ありません。

そこでフランク君、突然「男気」を発揮して、にわかスパイよろしく白いタキシードで、自ら渦中に飛び込んでいくわけです。このあたりから、不穏な盛り上がりを見せる本作。

これ以上はネタばれ・・・ある意味、ナンセンス・コントの世界ですから多くを語りませんが、言い出したホラは引っ込められない、とばかりエリーズ、フランク、悪党の面々、警察が一か所に集合し大団円を迎える、とだけ申しておきましょう。

それにしても、ワルなギャングの方々ったら、いかつい顔のわりに「脇が甘い」しねえ、どうよ、それ?まあ、いちいち、目くじら立てる映画じゃないから、しつこくカラむのはやめましょう。

強いて本作の良い点といえば、ベニス旅行に行った気分になること

それと、ジョニー・デップさんのグダグダなパジャマ姿を拝見できること。

そうそう、脇役には大感激でした。何代目か忘れたけど、007シリーズで2作だけジェームス・ボンドを演じたティモシー・ダルトンさんが、諜報組織のボス役で登場しています、ウオー!007として世界で活躍後に現場を離れ、管理職になっていたんだね・・・なんて裏ストーリーを妄想したりして。

ギャングのボス、ショーを演じているのが、これまた、007シリーズに登場していた、スティーヴン・バーコフさんです!演劇で有名な方ですが、典型的な悪党面が幸いし(?)、今回もきっちりと敵役を熱演です。いやあ、迫力がありましたねえ。

ツーリスト2.jpg

さらに嬉しいのは、いかにも「主役の引立て役」を演じたポール・ベタニーさん。現場責任者の警部ながら仕切りがイマイチ、あぶなっかしい感じが、実に情けなくナイスな味わいです。ベタニーさんの過去最高のはまり役は「ドッグ・ヴィル」の偽善的な村の男、お前のせいで村が無茶苦茶になったじゃねえか!とニコール・キッドマンでなくても怒り狂うわけですが、あのダメダメ男テイストが、本作「ツーリスト」で完全復活!そう、映画の中のセリフじゃないけど、「君の居場所はここしかない」って。あはは。

007カラミの2名を出演させたり、ポール・ベタニーさんの涙目を効果的にまぶしたりと、細かい点にもそれなり気をくばった映画なのですねえ。

・・・と好材料ゼロではないものの、「そりゃ、ないっしょや!」と北海道弁でツッコンでしまう、結局はそんな”話題の迷作”でありました。ちゃんちゃん。


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映画 「パリ、テキサス」 私の最愛の映画といえば、断然、これであります。 [映画]

関東はまだ余震が続いており、1日に数回、建物が揺れます。映画館に行くのはちょっとばかり控えているところです。

封切り中の新作について書けないので、昔観た大好きな映画について書きます。

「今までに観たなかで、最も感動した映画は何ですか?」と聞かれて、皆さんんはすぐに答えられますか?躊躇がありませんか?私なら、その問いに対し、即座にこの作品をあげます。それほどに、ワタクシは本作を愛しているのであります。

その映画とは「パリ、テキサス」です。

パリテキサスDVD.jpgヴィム・ベンダース監督の1984年(ドイツ・フランス)作品。同年、カンヌ国際映画祭で最高賞(パルム・ドール)を獲得した名作ですが、ワタクシには受賞歴などどうでもよく、とにかく、猛烈に感動したってことです。観たのは1987年か1988年、場所は新宿の映画館でした。カンヌ映画祭 受賞作品特集みたいな企画で、ほかに、「ミッション」や「路(トルコ映画?)」が上映されていました。

さて、「パリ、テキサス」という映画。

舞台はパリ(フランス)ではなくアメリカ。焼けつくようなテキサスの砂漠を、トラビスという男がさまよっている場面から始まります。妻ジェーンに去られ、幼い息子と別れ、呆然自失で4年間を放浪していたのです。気力も体力も失った状態で発見されたトラビスは、弟夫婦に保護されますが、記憶すら失くした廃人のような兄に、弟は愕然とします。

これが「さわり」なのですが、何と言えば良いのでしょう、普通の娯楽作品のような「映画的展開」が、本作にほとんどありません。この先、いったい何がどうなるのやら、この調子が続くのか、と不安にさえなります。ドラマチックな展開や、いかにも、という泣かせ場面が挿入されるわけでもなく、あくまでも淡々、とつとつと物語が進みます。

そして全編を覆うのはライ・クーダーさんのスライド・ギターの音色。登場人物によりそうように、渋く、けだるく、ツボにはまりまくりですよ!(音楽は、見事な貢献をしています)

次第に回復したトラビスは、再会した息子(子役がいい味出してる)と心を通わせ、自分のもとを去った妻を探す「旅」に出ます。それは失った家族の絆を修復する道のりなんですね。ちなみに、山場のひとつであるこのシーンさえ、トラビスの強い決意表明があるわけでなく、淡々・・・と映画は進行します(観客の2割は爆睡?)。

クライマックス。最後の最後に、トラビスの別れた妻ジェーンが登場します。ここがスゴイ。演じているのがナスターシャ・キンスキーさんなんです。素晴らしい美人。ポスターに思いっきり写真がのってますから、妻役が彼女であることはバレバレなのに、スクリーンに彼女が登場した瞬間に、はっと息をのむ”空気の変化”が生じましたね。幼稚な表現ですが、うおお、出たあっ!って感じかなあ。

パリテキサス3.jpg

トラビスとジェーンの再会は、あまりにもイビツな形で果たされます。再会と言えるのかも分かりませんが、ここから人物の動きがほとんどない二人の「会話」と「表情」だけのドラマになります。時間にして10分もないシーンと思うのですが(20年以上前で記憶曖昧、すいません)、すんごい濃密な空気の中、短い時間に、淡々と語られる、「愛」の形、「人生の不条理」「絶望感」、もがき、苦しみ、それでも生きる意味・・・それらがバンバン心に響くわけです。

もう、どんな言葉を連ねても、ワタクシの思い入れを表現できないくらい素晴らしいんです。ナスターシャ・キンスキーさんも絶品。全身、ブルブルするくらいに。

この時点で完全ノックダウン、精神的にメロメロにになっちゃうワタクシでした。

パリテキサス1.jpg

ボーボーと涙を流したワタクシは、映画が終わっても涙が全然止まらないのです。なぜなら、映画の内容へ感動しただけでなく、「このような素晴らしい映画を、人間が生み出すことが出来た」ことへの感動、すなわち「映画の可能性」に心打たれたからです。「パリ、テキサス」は、それまで自分が観た映画とは、本質から違う世界だったんです。

カッコ良く言えば、この作品を観たから、ワタクシは胸をはって「自分は映画が好きだ」と言えるようになったんです。

魂を揺さぶられる体験をワタクシに与えてくれた、監督のヴィム・ベンダースさん、脚本のサム・シェパードさん、音楽のライ・クーダーさん(最高!)、出演者たち、とくにナスターシャ・キンスキーさん、もう本当に感謝しております。本作を観てから、早いもので20数年が経ちました。その間、1500本を超える映画を観てきたワタクシですが、やっぱり「パリ、テキサス」は自分にとってのベスト・オブ・ベストなんです。

パリテキサス2.jpg

で、ほんと、オレってバカだよなあ、と思ったこと。この文章を書きながら、「パリ、テキサス」のシーンを思い出し、今、ボーボーと泣いているのであります。どうかしてるぜ、オレ。涙線弱すぎ。あほかいな。

余談ですが、ワタクシがやっているもうひとつのブログ「門前トラビスのつぶやきピロートーク」ですが、門前トラビスの「トラビス」は、「パリ、テキサス」の主人公の役名からいただいたものであります。ハイ。


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映画 「ヒアアフター」 ・・・観る前に、上映中止となりました。 [映画]

観ていない映画をテーマにとりあげるのは、当ブログで初めてかもしれません。

映画「ヒアアフター」について書きます。

クリント・イーストウッド監督 マット・デイモン主演のアメリカ映画で、2月19日から全国公開されていました。前売券を購入していたものの、なかなか行く機会がなかったのです。

そして、拝見できぬまま、3月14日、本作は上映中止となってしまいました。

中止の理由は、「大津波と、それによる大被害」のシーンがあるからです。東北関東大地震の被害の大きさを鑑み、配給会社が上映”自粛”したのです。

私は映画配給会社の判断を否定はいたしません。しかし、一方で、素直に首肯しかねる点もあるのです。

ヒアアフターP.jpg

映画自体を観ていないので、はがゆいですが、本作は津波を煽情的に扱った「パニック映画」ではなく、災害に遭遇された方の”魂の救済”の物語、と考えています。もちろん大津波に流される街や人々が映像として描かれますから、決して気持ちの良いものではありません。しかし、それを即物的な「売り」にしている作品ではない(はず)です。

映画の姿勢や内容まで考えた時、「津波シーンがあるから上映中止」とは、世間からの批判を恐れた自衛的・保身的な決定とも感じました。

ヒアアフター2.jpg

TV放送ならば、集会所や待合室でTVをつけっぱなしにしていたら、映像や音が勝手に目や耳に飛び込んできます。好むと好まざるとにかかわらず、放送を見せられるのです。したがって時節を踏まえ「放映して良いもの、悪いもの」の判断は厳しくなると考えます。

しかし、劇場公開中の映画の場合、1800円なりの料金を出し、観る側が積極的な意思をもって映画館に出向くわけです。もちろん、映画の内容を何も知らずに観てしまった、あんなものは観たくなかった、という観客もいるでしょうけど、「未知の内容を知ろう」という能動的な行為なのです。

「見せてしまう」TV放映と、「観ようとして観る」映画館上映は、おのずと違う、と思うのです。

ヒアアフター1.jpg

話をややこしくしそうですが、「ヒアアフター」の上映中止に対し、現実に未曾有の大災害が発生した今、無理からぬことと私は理解はします。関係者の方々も、苦渋の決断だったことでしょう。

言いたいのは、こうした”自粛”が、世間の批判を恐れるあまりに「自粛の連鎖」を生むことを懸念しているのです。極論を言えば、津波や地震の場面がある小説やコミックは焚書されて発禁処分。原子力発電所のトラブルを描いた映画(たとえば、「チャイナ・シンドローム」など)はDVD発売禁止。

TSUNAMI、という曲も、もしかして放送禁止になるのでは?

こうなると、被災者の方々への心遣いというより、過剰なアレルギー反応から生まれる「言葉狩り」「映像狩り」の様相を呈してしまいます。

これから日本はなんとか復興に向け、力を合わせねばならない時です。多くの方々の悲しみを、いたずらに刺激することはあってはなりません。さりとて、度を過ぎた自粛や、言葉のはしをとらえて揚げ足をとったり、「臭いものにはフタ」という方向ばかりでは、建設的なものを何を生み出せなくなってしまいます。企業も、個人各人も、どうか品性とバランス感覚を保って前向きに進んでほしい。

この時期に、暴論ともとれる記事になりましたが、最後に補足しますと、アメリカでは映画「ヒアアフター」のDVD売上金の一部を、日本の復興支援にあてることが決定したそうです。

アメリカの映画人たちの懐の深さを知り、この記事を書こうと思った次第です。では。


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