音楽 アル・ジャロウ まさにジャンルを超えたスーパー・ヴォーカリスト!! [音楽]
くっすん赤福さんからコメントいただいた天才シンガー、アル・ジャロウのことを書きます!
うふ、ごく一部ながら、アル・ジャロウ人気が盛り上がったようでございますねえ(私が誘導?)。嬉しいですなあ。「本物」に食いついてくださる音楽ファンがいるとは、心強い限りです。
音楽好きを自認する方は、絶対にこの記事は読んで欲しいっすね!
多くの方が「アル・ジャロウって誰?」と疑問に思っていることでしょう。
そんなことも、あるじゃろう、と思い(スイマセン、ダジャレで)、簡単に彼の経歴を紹介しましょう。
アル・ジャロウ。1940年生まれ。ジャズ・シンガーとして70年代半ばにデビューしましたが、ほどなく、正統派ジャズの枠を超える、稀有な個性を発揮します。
彼の特徴(特技)は、柔らかくも声量たっぷりの歌声と、その声を「楽器のごとく」変幻自在に駆使するテクニックです。ラップシンガー顔負けの、凄まじい速さで繰り出すマシンガン・スキャット。人間楽器、ともいえる声、声、声の嵐。どんなに熱くなっても、音程をはずさず、正確無比なリズムを誇る様は圧巻です。
もちろん、技巧だけではない、暖かさにも満ちた歌声。。。まさに歌うために生まれた男!
今でこそボビー・マクファーリンなどの活躍で「楽器的スキャット」が認知されていますが、1970年代のこと。ジャンルを超えた大活躍をするアルを、邪道、キワモノ、と批判する音楽批評家も当時いたのです。
しかし、偉大なミュージシャンは、音楽性の高さで、最後に周囲を納得させるもの。アル・ジャロウは、リスナーのみならず、プロミュージシャンからも一目置かれる存在となります。名だたるミュージシャンがアルとの共演に燃え、さらなる名ステージ、名アルバムを生み出していきます(ドラムスの神こと、スティーブ・ガッドとの共演は鳥肌ものです)
その結果、彼は偉大な金字塔を打ち立てます。なんと、ジャズ、POPS、R&B(リズム・アンド・ブルース)という3部門で、グラミー賞を受賞したのです。グラミーの歴史で、彼のみが達成した快挙ということからも、凄さはご理解いただけると思います。
日本の人気はいまひとつで残念ですが、アル・ジャロウは、名実とも「ジャンルを超えたスーパー・ヴォーカリスト」に間違いありません。ソウルあり、ブラック・コンテンポラリーあり、ポップスあり、ジャズあり、ファンクあり、R&Bあり。。。。いったいアンタ、何者なんじゃい!と言いたくなる幅の広さです。
音楽好きの方なら、ぜひ、この才能に触れてほしい、と思います。
と、いうことで、まずは、YouTubeでみつけた名ステージをご覧あれ!!(8分ほどありますが、観る価値あり!)
スペインでのライブ映像(1990)=>ここをクリック
どうですか、このステージ。熱唱のアルもすごいけど、ジョー・サンプルのピアノ、そして「神様」ことスティーブ・ガッドのドラム・プレーが最高ですよねえ。「大人のロック」という雰囲気でしょう?次はもっとロックっぽく、MORNIN’の映像です。
MORNIN'のライブ映像=> ここをクリック
さて、ここからはCDのご紹介です。くっすん赤福さんが、アルのCDをお探しとのことですので。。
まず、私の大好きなアルバム、1976年の2nd「GLOW」。彼独特の人間楽器テクも楽しめますが、むしろ、本作の注目は、POPS曲の見事な歌いこなしです。
有名曲のカバー、たとえばレオン・ラッセルの「Rainbow in Your Eyes」、エルトン・ジョンの「Your Song」、ジェイムス・テイラーの「Fire and Rain」をやっておられますが---どれもこれも、ツボを刺激してきますねえ。いわゆるPOPS歌手とは違う、ジャージーな彼独自の歌の盛り上げ方をしてくれます。ポップス的カタルシスは弱いともいえますが。。。アルの初期名盤、といえましょう。。
さらに、POPS系の名盤といえば、83年のアルバム「JARREUA(ジャロウ)」でしょう。
そして、やはり、はずせないのは、グラミー賞最優秀POPSヴォーカル・パフォーマンスの受賞アルバム「BREAKIN’ AWAY」ですね。ジャズテイストも盛り込んだPOPSが炸裂、高速スキャットも絶好調、これぞ彼の真骨頂といえましょう。
R&B(リズム・アンド・ブルース)のアルを味わうなら、92年のアルバム「Heaven and Earth」で決まりでしょう。本作で、グラミー賞最優秀R&Bボーカル・パフォーマンスを受賞したのですから。物足りなさを指摘するコアなファンもいるかもしれませんが、聴きやすい一枚です。彼のソウルスリピッツを知るには恰好のアルバムと思います。
最後は、彼の出発点であるジャズ。77年、78年と、彼はグラミー賞最優秀ジャズ・ボーカル・パフォーマンスを受賞しているので、当時のアルバムも捨てがたいのですが、ワタクシとしては、2004年のアルバム「Accentuate the Positive」を推したい。若くて勢いのあるアルも素敵ですが、このアルバムは、60歳を超え、枯れたしみじみ感すら加わったアルの歌唱が、ジャズのスタンダードにピッタリで、まさに感動の1枚なのであります(ちなみに、彼は、本作でもグラミー賞にノミネートされたが受賞は逃した)。
30年間以上の長きに亘り、ジャンルを超えて音楽の感動を与えてくれる、天才ボーカリスト、アル・ジャロウ。私のつたない記事が、彼を知るきっかけになっていただければ幸いです。
皆様も、是非、YouTubeなどで試聴してみてくださいね。
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ここをクリック
音楽 ASIA、デフ・レパード、ドッケン----80年代デビューバンドの「新作」を聴く! [音楽]
書きたいことは沢山あるのですが、忙しさにかまけブログ更新できず、いかんなーと思ってたら、ある方からアドバイス。「アッシーさんのブログ記事は、長すぎですよ」。
おおっ、そうか、短い記事なら、バシバシ更新できるじゃん!と膝を叩いた(古いな、この表現)ワタクシ、さっそく「短さ」をモットーに邁進したいと心に誓ったのでした。無理か・・・無理だろうなあ・・・・
さて、今日は、久々の音楽ネタ。それも、1980年代にデビューしたロック・アーチストの、今年の新作を紹介(+吟味)しちゃおうという企てなのです。
こうゆう記事は映画と違って書きやすいんですよねーーー(得意分野かよ!)。
ASIA 「フェニックス」 2008年4月発売
オリジナルメンバーでのアルバムは、なんと25年ぶり(!)というASIA(エイジア)の新譜のご紹介です。すでに、0.1トンの男さんが素晴らしいコメントをブログ記事に書きこまれ、追記はないのですが、ワタクシもやっぱり書かないわけにはいかない。
ASIA(エイジア)は1982年結成。30代後半のロックリスナーには実に懐かしく響くバンド名でしょう。YESやELPなど、いわゆるプログレ出身の4名による「夢のスーパー・プログレ・バンド結成!」のふれこみでした。発売日を待ちわびゾクゾクしながら聴いたファースト・アルバムが「ASIA~詠時感(エイジア) 時へのロマン」(1982年)。一聴してビックリ仰天しましねえ。なにせ、プログレじゃなく、めちゃくちゃポップ・ロックだったんですねえ。予想は裏切られたものの、むしろ嬉しい誤算というべきか、このファーストアルバムが最高に素晴らしいのでした。
一曲目の「ヒート・オブ・ザ・モーメント」から凄かった。キャッチーなメロディに乗せ、ジョン・ウエットンの独特の鼻にかかったような甘い(?)歌声が響き、そこに妖怪スティーブ・ハウのギターが絶妙(微妙?)にからみつく。アルバム全体の高揚感も抜群で、セールスは数百万枚に達しました。
ところが、偉大すぎるファーストアルバムで頂点を極めたバンドは「落ちるだけ」になるのも世の常、2ndアルバムの後にボーカルが脱退。ほどなくバンドは空中分解します(その後も、オリジナルメンバー1名で「ニセASIA」はアルバムを作る続けるが、全盛期の見る影はなし)。
あれから長い月日がたちました。メンバーたちも大人になった(?)のでしょうか、金に困ったのでしょうか、いずれにしても、昨年から、オリジナル・メンバー4名による再結成ツアーが開始され、信じられないことに、本年、ニューアルバム「フェニックス」が発売となったのです。
25年ぶりのオリジナルメンバー作品ということで、うーん、これぞ「時へのロマン」。
さてニューアルバム「フェニックス」。ビックネーム再結成に、過去、何度も裏切られたワタクシは、期待半分・心配半分で聴いたのですが、ずばり言って、素晴らしい作品です。
ASIAのオリジナルテイストが炸裂です。当時のASIAの3rdアルバム、といってもおかしくなんじゃないかな?
まず、楽曲がいいんですねえ。初期ASIAのメロディアスなテイストは活かし、そのうえ曲の幅が広がっています。ジョン・ウエットンのヴォーカルは声質といい伸びと言い衰えを感じさせない素晴らしさ。さらに、技術の進歩により、25年前のシャカシャカサウンドまで改善され、実にまとまりのよい上質な「大人のロック」に仕上がりました。
これは聴く価値あり!の作品ですよ!
デフ・レパード 「SONGS FROM THE SPARKLE LOUNGE」 2008年5月
ASIAをさんざん褒めた後に、似たような評価もなんですが、デフ・レパードの6年ぶりのアルバム、実に素晴らしいんです。
デフ・レパードは、1980年イギリスで結成。最初こそ方向性不明のアルバムが2枚ありますが、84年のアルバム「炎のターゲット」で、ポップ感あふれる、親しみやすいロックを展開、いっきにビック・ネームへ登りつめます。ところが、ここぞ!というタイミングで、ドラムスが事故で片手を失うとか、ギターがお亡くなりになる、など、悲劇がついてまわるバンドでした。
2000年にはいってからのデフ・レパードは、そこそこの作品は発表するものの、はっきり言って80年代の輝きは失った、と言えましょう(まあ、あれだけ不幸が続けば当然ですが)。
それが、どうでしょう。今回のニューアルバム、80年代の名作テイストに、良い意味で回帰しつつ、昔をなぞるだけではない、真の傑作なのです。フルアルバムには、どうしたって良い曲と、イマイチの曲があるものですが、本作は捨て曲一切なし!と断言しましょう。良質ロック、誤解を恐れずにいえば、ロックの「本道」ともいえる本作、とにかく聴いてみてください!!
ドッケン 「Lightning Strikes Again」 2008年5月発売
うわー、出た!ロック界の自己中心男こと、ドン・ドッケンの率いるDOKKENの新作です。
ドッケンは、1982年アメリカで結成。当時全盛のLAメタルの代表格とみなされますが、軽いノリとヴィジュアルだけで売る凡百バンドとは明らかに一線を画す存在でした。ドン・ドッケンの哀愁ヴォーカル、と天才ギタリスト、ジョージ・リンチのギターリフの素晴らしさ。この強みを活かし、名作アルバムを世に送り出してきたわけです。なにせ、ハード・ナンバーはもとより、バラードも絶品(ドンの声にぴったり)というのが良いんですねえ。
ところがメンバーの個性が強すぎたのか、1988年にジョージ・リンチ脱退、バンドはあえなく分裂します。どっこい、予想外(?)に打たれ強いドンは、メンバーを入れ替えつつ連綿と25年バンドを続けてきました。
(ちなみに、ジョージ・リンチのいないドッケンなんて---というファンが多いのですが、私はそうではなく、ドン・ドッケンの声さえあれば満足しちゃうタイプですね。って、バンドじゃなく、ソロでいいのか?)
デフ・レパードでも似たような事を書きましたが、残念ながら、90年後半からのドッケンは長期の低迷時代に入ったと言えましょう。アルバムごと、ころころ変わる(右往左往する)テイスト。それでも2002年の「ロング・ウエイ・ホーム」はワタクシのお気に入りなんです。しかし、2004年のアルバム「HELL TO PAY」に至っては、日本では発売もされていません。
ま、そんな背景を踏まえて、ニューアルバム「Lightning Strikes Again」を聴きました。
うーーーん、これは微妙です。ドッケンの本領であるハードロック・テイストに回帰した、という意味では喜ばしいのですが、2008年、という時期を考えたときこのベタな芸風でよいのか??という疑問もわきます。
ありていに言えば、ガツン!と来るものが足りない、という・・・・・それなりの水準と認めるものの、2000年代の不振を吹き飛ばし、新たなドッケンワールドを切り開いた、とまでは言い難い微妙な仕上がりとなりました。
曲は、もう少し練ったほうが良かったと思います。アレンジも平板というか、メリハリが足りないしなあ。。。。大好きなバンドだけに評価が辛めになってしまうのですが、ま、次回作に期待!ということでまとめておきましょう!頑張れ、ドッケン!!
この記事のコメントを読む/コメントを書く→ここをクリック
音楽 本年購入したロックCDのお気に入り! [音楽]
久しぶりにロック・アルバムのネタです。今年発売のCDのうち、気に入ったものを独善的に紹介しちゃいます。
ザ・スケアクロウ by トビアス・サメッツ・アヴァンタジア 2008年1月発売
ジャーマン・メタルを代表するバンドとなった「エドガイ」のボーカリスト、トビアス・サメットの「壮麗なオペラチックなメタル・アルバムを作りたい!」という企画が生んだメタル・オペラ・プロジェクト、の第3作であります。
同類のコンセプト・アルバムはメタル界に数あれど、トビアス・サメッツ・アヴァンタジアは、群を抜いて素晴らしいプロジェクトです。個性豊かな十数名のアーチストをまとめるトビアスの、作曲だけでなく、「仕切り力」に負うところが大きいのでしょう。今回のアルバムを支える面々は、相変わらず豪華でして、エリック・シンガー(Dr;KISS)、マイケル・キスク(Vo;元ハロウイン)、ヨルン・ランデ(Vo)、アリス・クーパー(Vo)、カイ・ハンセン(G、元ハロウイン、現ガンマ・レイ)、ルドルフ・シェンカー(G;スコーピオンズ)、ロイ・カーン(Vo;KAMELOT)などなどです。
さて、一曲目「Twisted Mind」の地味な始まり方には意外の感が。むむっ、いつもとちがうな?と。--拍子ぬけかと思いきや、聴き進むごとに奥が深い!5年前の前作の大仰シンフォニック・ファンタジーも大好きでしたが、今回の、表面の華やかさを否定するかのような、重心の低い「大人のメタル」にもしびれます。どの曲も5分超という長尺ながら、漫然としたところはありません。このあたりは、さすがですね。
特筆すべきは、ゲスト・ボーカリストたちの歌唱のすごさでしょう。マイケル・キスク、ヨルン・ランデもさることながら、アリス・クーパー御大まで登場ですぜ!おいおい!!
強いて、希望を言えば、冒頭1曲目は、もっとガツンとくるキラー・チューンにして欲しかったな。まあ、それも傷ではなく、聴いてくうち、じわじわ盛り上がるこの構成も悪くはありません。
一曲を選ぶなら、メタル的には邪道ながら、紅一点のアマンダ・ソマーヴィルの美しい歌唱で泣ける「Lost In Space」です。曲と言い、歌いっぷりといいセリーヌ・ディオンの「タイタニックのテーマ」そっくりですが、そのベタな盛り上げ方が、たまらなくいいんだなあ。トビアスとの男女デュエットは、とにかく絶品でしょう。
ということで、アヴァンタジアのニューアルバム、5年待たせただけあって、さすがの渾身の力作!と申せましょう。「買い」です!
11 by ブライアン・アダムス 2008年4月発売
1980年に1stアルバムを発表、80年代のアメリカン・ロックを代表するシンガー、ブライアン・アダムスの通算11枚目のオリジナル・アルバムです(でも彼ってカナダ出身なんですよね)。
1曲目から、ブライアン好きにはたまらない、あのシワガレ声で嬉しくなりますよ。20年の時を一気に飛び越えたかのような、らしい楽曲に乗って、ブライアン節全開です。正直、「新しい冒険」を求めると不満が出るかもしれませんが、アコギ中心の「定番感」がたまらなく心地よく、ファンなら満足は間違いなし!ですよ。
CARVED IN STONE by RAGE 2008年2月発売
20年以上のキャリアを誇る、ドイツのメタル・バンド、RAGE(レイジ)のニューアルバムです。最近、レイジというと、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを思い浮かべる方が多いようですが、いけませんな、いけませんな。本来のRAGEはこっちっすよ!(日本のバンド、OUTRAGEも違いますからね)
4人になったり3人になったり、オリジナルメンバーは誰が残ってるかも把握してないワタクシですが、どうも「昔の名前」に弱く、ついついCD購入してしまいます---で、意外や意外、これがナイスなんですねえ。ジャーマン系の良さであるメロディ重視姿勢は崩さず、各人のプレーがかっちり冴えており、惰性や流し感ゼロ。メリハリに欠けるという指摘もありましょうが、なんのその、十分に楽しめます。
ただし、間奏でのリードギターのチュイ~ン、チュイ~ンというオカズは、はっきり申し上げてダサイ!やめてほしいけど、これも80年代メタルのシッポ、ということで許しましょう!RAGEを聴かず嫌いの方(そんな人いるかあ?)にも、是非お勧めの一作ですね。
HEAD OFF by ヘラコプターズ 2008年3月発売
ヘラコの前にヘラコなし。ヘラコの後にヘラコなし。と言われた(言われてないか)、北欧発、猪突猛進・爆走バンドのヘラコプターズの新譜です。ガレージロック系(?)でも、安っぽさがなく、上質のストレート・ロック+パンク、というかなあ。とにかく、怒涛の音・音・音の攻撃に、聴くと血がたぎって、スチャラカ踊りたくなるんですねえ。
今回は新譜登場!で大喜びしたのもつかの間、なんと、彼ら、今年で解散することを宣言しているのです。ギャーーー。悲しいなあ。。。大好きなのに。。。。
さて本作、あいも変わらず、キャッチーで「ヘラコらしい」楽曲目白押し、油断も隙もなくガンガン攻め込んできます---と思ったら、なんと、これ全曲カバーだそうです。要するに、他のバンドの曲だそうで(オリジナルは1曲も知りませんでした)。さらに、アルバム発売まで、曲の持ち主のバンドにまで内緒にしていたという。。。おいおい、著作権上、それって問題ないのかよ!?と言いたくなりますが、ま、ワタクシとしては、ヘラコらしい世界が炸裂すれば、それでOKなわけで。
朝の出勤の電車内、本アルバムをイヤホンで聞きヘッドバンキングしている男、それがワタクシなのであります。キャン。。。
GOOD TO BE BAD by ホワイトスネイク 2008年4月発売
CD帯のコピーそのままで恐縮ですが、「ロック界最高のヴォーカリストであるデヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイク、記念すべきオリジナル10枚目のスタジオ・フル・アルバム」なんであります。(丸写しかよ!)
デヴィッドといえば、ディープ・パープル在籍時の「BURN」の熱唱が白眉ですが、30年たった現在も、歌声・容姿ともご健在で、第一線で活躍しているのです。
で、今回のニューアルバムは、まさにデヴィッドの良いところが全部出た!という感じです。ゾクゾクする刺激的なHR/HMの歌唱が満喫できます。この年齢(50歳超)になると、悪い意味で、落ち着いちゃうベテランも多いのに、ひじょうにアグレッシブな「攻めの音楽」を展開します。オールド・ファンとしては「まさにこれを待っていた!」と叫んでしまいます。変幻自在のセクスィーな歌声に浸りきろうではありませんか!
日本版ボーナストラックの、ダグ・アルドリッジのギター・ソロバージョンも良いです。というか、ダグの加入でホワイトスネイクは蘇ったといえましょうね。ギターという楽器は、そのバンドの活力を左右する重要なキー・コンポーネントですね。このあたりはまた別の記事で。。。
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ここをクリック
音楽 スティーリー・ダン 70年代デビューの驚異のアーチスト(その3) [音楽]
どーも。GWをいかがお過ごしでしょうか?
「今、聴いても新しい驚異の70年代デビュー・アーチスト」の記事第3弾であります。
前回のオフコース記事に、コメント(反響?)多数いただき、ありがとうございました。オフコース人気の根強さを実感しました。
今日は技巧派ロック・バンド、スティーリー・ダン、を取り上げます。
ワタクシ、中学生の頃、スティーリー・ダンをアーチスト個人の名前と勘違いしていましたが、これって、バンド名なんです。バロウズの「裸のランチ」(映画もありました)に出てくる、STEELY DAN Ⅲ FROM YOKOHAMA、から取ったネーミングだそうです(って、なんだか分からないですが)。
バンドの体裁を取ってますが、実質、ドナルド・フェイゲン(Vo,Keys)と、ウォルター・ベッカー(b、g)2名が主催するプロジェクトと考えるべきでしょう。当初は、やたらメンバーチェンジの多いバンド、という印象でしたが、1970年代後半には開き直ったか、アルバム制作ごとに、凄腕プレーヤーにゲスト参加してもらい、音楽性の高い作品を生み出すプロジェクト制になっていくのです。
そういえば、1974年のアルバム「プレッツェル・ロジック」に、後にTOTOを結成するジェフ・ポーカロ(ドラムス)が参加していました。どうでもいいネタですが、アルバム「プレッツェル・ロジック」の、当時の邦題が「さわやか革命」---おいおい、なんだよ、その脱力系アルバム名は!?さらに、ジェフ・ポーカロは、庭でまいていた殺虫剤のアレルギーでお亡くなりになったのでしたね。。。
話は戻ります。1972年にファースト・アルバム「キャント・バイ・ア・スリル」がいきなりの大ヒット。その後の活躍は、割愛しますが、スティーリー・ダンの真骨頂が発揮されたのは、何と言っても、1977年のアルバム「彩(エイジャ)」(グラミー賞殿堂入り)、それに双璧をなす名盤1980年「ガウチョ」でしょう。この2枚をもって、スティーリー・ダンの栄光はロック史に刻み込まれた、といえましょうね。
彼らの音楽を、言葉で表現するのは難しく「スティーリー・ダンっぽい」としか言いようないんです。(むちゃだね、この言い方)。とにかく独特の空気/雰囲気を持っています。強いていえば、ジャズやフージョン、プログレ、さらにはポップスの要素を盛り込んだ技巧派ロック、と言えばいいかなあ。スタジアム・ロックのような、ノリノリ感満点、という音楽ではないので、「好み」は分かれることでしょうけど。
完璧に計算された楽曲と、綿密なアレンジ。プレーヤーの卓越した技巧と、徹底的にレコーディングで磨き上げられたサウンド---これだけ、手をかけたのに、無駄な付け足し感が全くありません。難解/独善的ではなく、力んだところがなく、音楽の楽しさを失っていない・・・・抜群のバランス感覚は、ロックの奇跡だと思います。
いずれにしても、唯我独尊の美学に満ちた、スティーリー・ダンの作品は、聴く人に「時代感」を与えないのは確かでしょう。制作から30年以上たった今聴いても、まったく斬新であり、それどころか、今から30年後(2038年)に聴いても、スティーリー・ダンは、その音楽センスで、聴く人を驚愕させ続けると思います。
たとえば、前出の代表作「彩(エイジャ)」。クレジットされているゲストミュージシャンは、なんと28人です。そこには、ラリー・カールトン、リー・リトナー、ジョー・サンプル、ウエイン・ショーター、スティーヴ・ガット、、、などそうそうたるビックネームが並んでいます。読売ジャイアンツが4番バッターばかり集めて、さっぱり勝てない事から考えて、こんなにいろいろな個性を集めてアルバムがまとまるのか?と不安になりますが、なんのその。やっぱりコアの部分は、ドナルド・フェイゲンと、ウォルター・ベッカーがキッチリ締めています。
一曲目の「BLACK COW」のビートでガツンときてから、2曲目は、ラテンっぽいリズムのキャッチーなアルバムタイトル曲「AJA」。ウエイン・ショーターのサックス・ソロが白眉です。後半の「HOME AT LAST」、そしてラストの「JOSIE」。技巧だけに頼らない、ポップ感あるれるツボを押さえた自然な流れ。ギターのフレーズ、バッキングのセンスあふれること!!ここまで完璧だと、脱帽、というか、何も言えないでしょうが!
ミュージシャン・シップの権化、70年代の天才たちの生み出した、スティーリー・ダン、に感謝です。ありがとう!!
最後に補足ですが、1982年のドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム「ナイトフライ」も素晴らしいですよ。ジャケットも実に洗練されていて(上写真)、スティーリー・ダン未体験の方は、「ナイトフライ」から聴き始めたほうが入りやすいかもしれませんね。
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ここをクリック
音楽 オフコース/驚異の70年代のアーチスト(その2) [音楽]
引き続き「今も新しく聴こえる70年代のアーチスト&作品」を探索していきたいと思います。
前回記事への皆様のコメント(書き込み)は凄まじかったですね。ありがとうございます。みその様は、ジャクソン・ブラウンのCDまで買われたようで感激です(私はレコード会社の手先ではありませんが)。
問題は、私の記事より、皆様のコメントのほうが面白いこと---そりゃ困るぞ。ということで、今後はワタクシの存在感が薄れないよう、つまらない書き込み(?)をヨロシク。
前回のおさらいですが、掲題選定基準は前回同様、①70年代に少なくとも1枚はアルバムを発表したアーチスト、 ②今もCDショップで入手できること、③ジャンルは一般にロック、ポップスと呼ばれるものです。プログレやテクノは収拾つかなくなるので、やっぱりはずしました。グラミー賞ハードロック部門を受賞したジェスロ・タルのイアン・アンダーソンはお怒りになるでしょうか?(←ふくずみ様からのご指摘を受け、誤字を訂正しました。08年4月27日)
ではさっそくご紹介。「いまだにめちゃ新しい」と痛感したアーチストです。
1970年結成のオフコースです。
60歳を迎えてなおビックヒットを飛ばすモンスター=小田和正さんのかつてのバンドです。1970年結成当時は、バンドではなく、男性2名のデュオでした。「日本のカーペンターズ」なんつう正気とは思えないコピーをつけられてました。サウンドは誤解を恐れずにいうと、フォーク系メロウです。ファーストアルバム「僕の贈り物」の全編で聴ける、美しい中性的な男声デュオが、70年代のオフコースサウンドを特徴づけることになります。
アルバムを出すたび着実にファン(主として女性)を獲得しますが、大きな転機が訪れます。1979年、5名編成となった最初のアルバム「Three and Two」で、これまでのアコーステックサウンドから、ベース、ドラムス、エレキギターを強調したロック色に変貌。この方向性がオフコースファンに賛否両論を巻き起こします。一方、サウンドだけでなく楽曲にも力強さが加わった結果、「愛を止めないで」「さよなら」「Yes、Yes、Yes」などヒットを連発し、新たなファンを開拓します。ここに至り、地味な印象をぬぐえなかったオフコースは、日本を代表するビックネームに飛躍するのです。しかし、1989年、結成当時からの盟友、鈴木康博さんが脱退し、惜しまれながらの解散---となります。
以上が、ざっとオフコースの紹介ですが、オフコースを語ることは、70年代の日本のポップス受容史、ひいては、日本人の偏狭論にもつながるわけで、音楽論と別に興味深いテーマです。ちょっと脇道にそれますが、少しばかり当時のお話を。
一般に「耳が良い」と言われる日本のリスナーですが、70年代、カッコいい音楽といえば、ほとんど「洋楽」でした。まあ、当時の日本の音楽業界が粗製乱造しすぎたこともありますが、「日本のポップスなんて聴けたもんじゃねえよ」という空気が支配的だったのです。
日本のポップスなんぞ聴く奴は「軟弱」「女子供」だと。(私にいわせりゃ、LAメタルのほうが、よっぽど軟弱だけどね)
軟弱のレッテルを張られた代表的アーチストは、フォーク/ニューミュージック系でした。かぐや姫、風、さだまさし、松山千春、チューリップ、ふきのとう、そして、オフコース---。(なぜか荒井由美は「別格」扱いだったなあ)。
彼らの音楽を愛する男性リスナーは、江戸時代の隠れキリシタンのごとく、息をひそめて暮らしたものです。
当時中学生~高校生だったワタクシは、ここに絶望的な日本の排他性を観たのであります(おおげさ?)。ワタクシはディープ・パープルの「BURN」で踊り狂ったあと、ジョン・レノンやフランク・ザッパを聴き、締めにオフコースの「秋の気配」を聴く、ストライクゾーンの広いリスナーでした。したがって、当時の洋楽マニアが、深い根拠もなく日本音楽を非難・排他することでしかアイデンティティを維持できない姿を見て、将来を憂いました(ますますおおげさ?)
現在が良いか悪いかは分かりませんが、少なくとも「聴く音楽」でリスナーを排他する事は無くなった?と思います。ゆずが受け入れられてるしね。むしろハードロック、へヴィメタルが受難の時代か?
話を戻します。70年代の「日本ポップスの受容」に寄与したバンドのひとつが、オフコースであることは間違いありません。
では、なぜ、オフコースがいま聴いても、古臭くなく、新しく聴こえるのか、を考えたいと思います。
かつて、ジャズ・ピアニストの山下洋輔氏が、作家 椎名誠との対談で、オフコースを絶賛しました(硬派を気取る椎名さんは、全くついていってませんでしたが)。山下氏のコメント詳細は忘れましたが、腑に落ちたのはオフコースのサウンドや楽曲が、良い意味で「色」や「時代性」がない、「純粋な音楽」である、ということでした。
彼らの真骨頂は(特に70年代の楽曲)、余計なデコレートのないハイセンスのアレンジにあります。オフコースの楽曲には「音のない空白にさえ、音楽がある」という点は特筆すべきかと。これは、ごく一部のアーチストしか達しえなかった究極のサウンドと思います。
たとえば「あなたのすべて」という曲。出だしはシンプルなベースのライン(+出過ぎないドラムス)、そこに小田さんの声、という「疎」な音作り。スッカスカの音になるはずが、オフコースが演じると、余白にも音楽が満ちるわけです。文学で言う「行間に意味を持たせる」という表現がピッタリ。CMでも使われ根強い人気曲「言葉にできない」も、手数が少ないにもかかわらず密度が高いんですね。
最初から細かい分析になりましたが、次は曲についてです。
オフコースの音楽で、意外に見過ごされている(ネガティブにとらえる意見もある)のは、歌詞です。オフコースの歌詞は、何を言ってるのか分からん、という批判がありましたが、実は、これこそ、いつまでも新しく聴こえる秘密と思います。
歌詞から「具体性をあえて排除」することで、リスナーに不要な「画像化」「物語化」を強いないのです。固有名詞も慎重に、広く解釈できるものが選ばれます。私見ですが、具体的・散文的な記述ほど、イメージが同じような映像で記憶され、固定観念から逃れられなくなります。つまりは、「みんな同じに感じる」=時代感を刷り込んでしまう、のではないでしょうか?
たとえば、かぐや姫の「神田川」「赤ちょうちん」といった曲、描かれている時代が70年代という以上に、あまりにも詳細な「描写」があるわけです。赤いてぬぐい、とか、横町の風呂屋、だとか。これらは否応なくリスナーの中に「固定の風景」と「一義的な物語」を作ってしまいます。曲を再聴するたび、リスナーは、その世界をなぞることになり、新鮮には音楽を聴けないのだと思います。
一方、オフコース。比較的、具体的な記述が多い「さよなら」でさえ、登場人物がなぜ別れたのか、どんな事件があったか、までは語られません。風景描写も「雪」とか「寒い冬の並木道」程度で、ほとんど心象風景になっています。したがって曲を聴くと、当時の、ではなく、聴くたび新たな印象や映像が生まれる「自由度」があるわけです。10代で聴く「さよなら」と、30代で聴く「さよなら」は、異なる風景を与えてくれますよね。
「ワインの匂い」という曲なんかは、ワインの好きなあのコ、は窓辺で遠くを見つめながら、悲しい歌をくちずさんでいる---もう、イメージすら困難な幻想世界ですね。ワインを飲み過ぎ体を壊し、リハビリ施設にいるのかあ?みたいな。(かなりシュールだな)。
しかし何も語っていないようで、鋭い殺し文句をまぶすところがオフコースの秀逸さです。「愛を止めないで」と言われても---と思いつつ、なんだか感じはわかりますね。「切ない時には開けてみればいい、YES、YES、YES--」って、何を?どう?と突っ込みも無用、みたいな。このへんの言葉の使い方は上手いなあ、と思います。
こうした良い意味の「抽象性」が、彼らを、時代の垢にまみれさせなかった、といえましょう。
上記の要素「音楽の純粋性」「綿密にアレンジされたサウンド」「歌詞の抽象性」「独自の心象風景」がバランスよく配合され、ボーカルのクールな声が加わった結果、フォロワー(後続者)には逆立ちしても真似できない、オフコース世界、が生まれた、ということでしょうね。
あーーーー、今回は分析し過ぎですねえ。すいません。
最後にひとつ。
初期オフコースの曲は、すさまじくアレンジが「凝って」おり、ギターで弾くのさえ大変でした。1974年のセカンドアルバムには、楽譜がはいっていたはずですが、コードを見て仰天。転調も複雑怪奇で一種のプログレといってもよいでしょう。(プログレ系フォークの大御所、ルネッサンスのほうが、まだ分かりやすい曲でした)。あのままだったら、オフコースはここまでメジャーになれなかったでしょうね。
うわー、オフコースで今回終わってしまったので、次回、同じテーマで第3回、スティーリー・ダン、井上陽水を考察したいと思います。
この記事のコメントを読む/コメントを書く→クリック
音楽 驚異の70年代デビューアーチストたち! [音楽]
ご注意!今回の記事はかなりマニアックですので「ロック、ポップスに興味のない方」に対しては、苦痛しか与えません。途中で嫌になったら読むのをやめて下さいませ。
AC/DCネタから派生し「今も新しく聴こえる70年代のアーチスト」が今回のテーマです。
風呂敷を広げると、あの人も、あのグループも---と収拾つかないので、独断で基準を設けました。まず、70年代に少なくとも1枚はアルバムを発表していること。それが今でもCDショップで入手できること。ジャンルは一般にロック、ポップスと呼ばれるもの。ジャズやフュージョンは対象外としました。プログレ系も、もったいないけどはずしました。
なお、誤解を避けるために申し添えますが「今聴いても新しい」ことと、音楽の優劣や、アルバム売れ行きは関係ありません。メガヒットのアルバムにも、古臭いものはたくさんあります。むしろ、音楽性にすぐれた売れたアルバムほど、今聴くと古臭く感じますよね。
それは、なぜか?
どの時代も、新しい音楽は生まれます。新規性/先進性が高いほど、多くのフォロワー(後続者)がまねを始めます。優秀なフォロワーもいますが、多くは「柳の下のドジョウ」を狙った二番煎じたち。彼らが、まねして、いじって、変形させた粗悪品を量産することで、すぐれたオリジナルさえも「時代の流行」にカテゴライズされ、ブームが去ると「古臭く」なってしまう、というわけです。
たとえば、1976年に登場したボストン、というロックバンドを考えてみます。特徴は多重録音の分厚いバックサウンドに加え、キャッチーなメロディラインの芯の太いリードギター。ハイトーン・ボーカルがフェイドアウトしながら、リード・ギターがフェイドインしてくるところは、声と楽器が幻惑的な融合を遂げ、驚異の完成度を誇っています。鳥肌ものといってよいでしょう。
ところが、ボストンのファーストアルバム「幻想飛行」がヒットするや、膨大なイミテーションが、雨後のタケノコのごとく発生したのです。「ボストンっぽい」サウンドが蔓延しリスナーをウンザリさせた結果、(以降、個人的な見解)、今、ボストンを聴くと「懐かしいなあ」という感慨はあるものの、古びて聞こえるのです。
初期パンクのラモーンズや、濃い熱唱が特徴のブルース・スプリングスティ-ンやブライアン・アダムス、ジャーマン・メタルの雄ハロウィン、グラミー賞の常連のTOTO、ロキシー・ミュージック、チープ・トリックなどが、そうした憂き目にあったと考えられます。
また別の「古臭くなる」パターンは、すぐれたアーチストでありながら、セールスのため、積極的に自分から(あるいは所属会社の戦略で)、時代に迎合するケース。または、同じような曲ばかりを量産し、リスナーに飽きられるケース。
ハードロッカーでありながら、スローなバラード曲ばかりをシングル・カットし、時代とともに消えたナイト・レンジャー。どのアルバムもファーストの焼き直しだったエイジア。メロディアス系重視の路線で、次第にハード志向のリスナーを失ったジャーニー。ポップス路線の度が過ぎたフィル・コリンズ。。。言い出すと、きりがないですね。
さて、「古くきこえる」音楽を語りたいわけではないので、本題に移りましょう。
ワタクシの選んだ「今でも、新しく聴こえる70年代アーチスト」です。
別格扱いしたいのですが、はずせないのは、スティーヴィー・ワンダー。70年代にすでに大御所であり、完全にスタイルを確立していた彼。ブラック系のリズム感、ジャズ的サウンド要素も取り込んだミクスチャーで高度なサウンドでありながら、大衆に受ける「ポップス」に仕上げた手腕には、ただただ脱帽します(80年代以降の作品は、ポップすぎて個人的にはNGですが)。ある時は激しく、ある時はしっとりと、楽曲のヴァリエーションも抜群です。記事を書くにあたり、70年代~80年代前半発表のアルバム「インナーヴィジョンズ」「トーキング・ブック」「ホッター・ザン・ジュライ」を聴きましたが、やはり、時代を超越した名作群だと唸ってしまいました。
ブラック系ポップスで一世を風靡した、アース・ウインド・アンド・ファイアが、今聴くと「古いなあ」と感じるのに比べると格段の差といえましょう。(ちなみに、EWAFは大好きです)
次に行きましょう。「今聴いても新しいアーチスト」、おふたり目はマニア熱狂のロックバンド、ブラック・サバスとレインボー。というより、そのふたつに在籍したボーカリストロニー・ジェイムス・ディオです。記事を書く手が震えるくらい(おおげさ?)ディオの歌唱は他を圧倒しています。古い、新しい、ではなく、ただ純粋に素晴らしい音楽家、がロニーです。彼を知らずにロックを語るな!と申し上げたい。
レインボーは、ディープ・パープルを脱退したギタリスト、リッチー・ブラックモアが1975年(頃)に結成したバンド。ロニーの歌声に惚れ込んだリッチーによるワンマン・バンドとも言われますが、その後、ドラムスに天才コージー・パウエルが加入し、リッチー&ロニー&コージーの三頭は、ロック史の伝説となるケミストリーを生んだわけです。アルバムは「虹を翔る覇者」(1976年)、「バビロンの城門」(1978年)で決まり!でしょう。(どうでもいいですが、ロニーは「Kill The King」という名曲を歌っていますが、その20年後に、「Kill The Dragon」というアルバムを発表しています。王様を殺したり、竜を殺したりと大活躍ですな)
話が脱線しますが、1978年、当時ワタクシが住んでいた札幌で悲劇が起こりました。レインボーの札幌公演で、興奮した観客がステージに押し寄せ、19歳の女性が圧死したのです。以降、ロック・コンサートで群衆がステージに近づけないよう、警備が強化されるようになったのです。
ロニーに話を戻します。ブラック・サバスは1970年以前に結成されたイギリスのバンド。初代ボーカルは、ステージで生きたニワトリを噛み切る狂人(?)オジー・オズボーン御大。彼がブラック・サバスを辞めたあとに、レインボーを脱退したロニーが新ボーカリストして加入(1979年)。全く音楽性の異なるレインボーから、ブラック・サバスへの移行はリスナーの関心と懸念の的でしたが、結果は大成功でした。トニー・アイオミと、ギーザー・バトラーという天才と出会ったロニーは1980年のアルバム「HEAVEN AND HELL」で、キッズ向けの騒がしいロックと一線を画した、大人が聴くに耐える「本物のロック」を聴かせたのです。(しかし、なぜか決めポースはいつもの「まことちゃん」のグワシ!の指っぽいやつ。とほほ。)
次のアーチストにいきましょう。今回、70年代のアルバムを沢山聴きましたが、正直驚いたのは、ジャクソン・ブラウンです。1972年ファースト・アルバムを発表。やぼったいフォークを、都会的に洗練したフォーク系ポップスというか(ただし、AORほどやり過ぎてない)、ウエスト・コーストのさわやかな風が吹くごとしの穏健で温厚な音楽です。もちろん、劇的な盛り上がりはありません。したがって、正直、聴きなおすまでは、かなり古びて感じるだろうなあ、と思いました。が聴き進んでいくと、意外や意外、素晴らしく新鮮なのです。
同じような音楽は、当時、山のようにあったはずですが(ほとんど記憶に残っていない)、なぜ、ジャクソン・ブラウンは埋もれず新鮮に聞こえるのか?それは彼の音楽が、流行やカッコよさを追うのではなく、彼の「人間性」を真摯に表現したものであり、セールスに左右されない孤高性にあるからでしょう。ポップス音楽をやりたいのではなく、思いを語る手段がポップスであり、その思いにリスナーは心惹かれるのだと思います。心を落ち着けてくれる独特の歌声の素晴らしさも特筆すべきでしょう。けっして美声ではないのに、かすれたような温かく懐かしい声。懐かしいがゆえに、いつまでも新しい。
アルバムは、1970年代に発表されたものはどれも素晴らしかったですが、名作「プリテンダー」「ホールド・アウト」そしてライブを様子を堪能できる名作中の名作「孤独なランナー」で決まりでしょう!
ということで、今回は欧米3アーチストを紹介しましたが、次回は「今だに新しく聞こえる70年代アーチスト」のグループ編で、スティーリン・ダンと、オフコースについて語りたいと思います。
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ ここをクリック
音楽 AC/DCの時代を超える新しさ、に仰天した瞬間! [音楽]
突然ですが、皆様にとって「名言」とは、どんなものでしょうか?
結婚披露宴で、来賓が得意満面に語る人生教訓--とんでもない!岩波文庫「○○名言集」に掲載のありがたいお言葉--NGっす!それでは、相田みつをか?--なめとんかいッ!!
日常の何気な~い空気の中で、ポツッと誰かが口にしたセリフ。それが、場のツボにピタッとはまった時こそ、名言と呼ぶにふさわしい、ワタクシはそう思います。
「携帯電話を手離さないヤツほど、メイル返信がおそい」、先週聞いたのですが、鋭いと思いません?いまいちか?
数年前、友人たちと北海道の釧路へ旅行したときのことです。大量のカニの差し入れをいただき、メンバー8人は有頂天で、ホテルの一室でカニを食べ始めました。でも、カニって味が濃くて、意外に沢山は食べられないんです。30分後、案の定、全員がカニを食べることを苦痛、いや、拷問とさえ感じかけた時でした。Aさんの口からポツリと出た名言 :
「---これ以上食べたら、キライになっちゃう。。。」
どうです、見事なお言葉でしょう!!「満腹で、もう食えない」は誰でも言えます。でも「これ以上食べたら、キライになっちゃう」は、そこから一歩踏み込んだ「たっぷり食べた満足感と、それ以上食べられない悲しみ」が混合した苦悩だけでなく、「好きなのに嫌い」という恋愛ジレンマ=人生の機微をも表現しているのです--って、おおげさに分析してどうする!?
爾来、ワタクシは、この名言を公私で濫用、「これ以上、○○したら、嫌いになっちゃう」で、相手を煙に巻いているのであります。
さて、本題です--って、今までは枕だったのかよ!?
先日、ロック好きのSさんと飲んだときに、ロックバンド「AC/DC」ネタで盛り上がりました。そこで飛び出したSさんの名言 :
「AC/DCのアルバムって、4曲目から同じ曲に聞こえるよね」。
恐れ入りました。「AC/DCの曲ってどれも同じだよね」ではなく4曲目からという定量的な限定。区切ることで、AC/DCへの造詣と愛が滲み出ている、至極、名言であります!
さて、いよいよ、本題です---って、今のも、枕だったんかい!!
AC/DCは1975年のデビュー。トータル・アルバムセールス1億枚以上というモンスターバンドです。猪突猛進の直線攻撃的な楽曲、怒涛のリフで、熱狂的人気を誇っております(雑誌のバンド紹介みたいですいません)。学童姿で飛び跳ねるギターのアンガス・ヤングのパフォーマンスがすごい!もちろん、ブライアン・ジョンソンの激情ボーカルも必聴。代表的名盤は、ボーカルが、ボン・スコット(事故死)から、ジョンソンに代わった直後のアルバム、1000万枚の売り上げを誇る「BACK IN BLACK」(1980年、下写真)でしょうか。
さてAC/DCの既発18タイトルが、今年1月、紙ジャケ仕様で再発売されました。懐かしくて「地獄のハイウェイ」と「悪魔の招待状」の2枚を購入。さっそくプレーヤーにかけると、昔なじんだ演奏がスピーカーから流れてきました。でも次の瞬間にビックリしたのでした、その音楽は、懐かしいどころか、ものすごく新しく響いたのです。
20年以上前の作品とは思えません。月並みな表現ですが、AC/DCの音楽は、完全に時代を超越していたと感じたのです。彼らのオリジナリティに改めて大感動した次第です。
ワタクシ、考えました。70年代から活動していながら「新しさ」を失わないアーチストは他にいないのか!?
さっそく、自宅の3段スライドCD棚に収納されている約3000枚の保有CDから、キャリア30年のロック/ポップス系アーチストのアルバムをピックアップして、じっくり聴きなおしたのであります。
その調査の結果、「いまだ色あせない70年代デビューのアーチスト」を続々発見したのです!てなわけで、次回記事で続きはご報告しますね。
最後に、AC/DCをご存じない方のために、YouTubeのライブ映像をご紹介しましょう。キワモノっぽいステージ・パフォーマンスでさえ、確固たる評価を得ており、まさしく孤高のロックの至宝!といえましょう。AC/DC、エクセレントなり!
AC/DC「地獄のハイウェイ」のライブ映像を観る→ ここをクリック
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ここをクリック
音楽 ラフマニノフのピアノ協奏曲5番?クラシック音楽の理不尽にプンプン! [音楽]
クラシック音楽の記事を書くと、ブログ閲覧数が激減することを知りつつ、今日はかかせていただきます!
出張帰りに名古屋駅前タワーレコードでCDを物色してたら、ラフマニノフのピアノ協奏曲「5番」というCDを見つけたのです。
ご存じの方もおられると思いますが、ラフマニノフはピアノ協奏曲を4曲しか作曲してません。ところが、そのCDには堂々と「PIANO CONCERTO No.5」とクレジットされており、ご丁寧にもジャケットには5を表す「V」がデザインされています。(下写真)
もしや、埋もれていた楽譜が発見されたのか?と驚いたわけです。輸入盤で日本語補足がなく胡散臭いと思いましたが、急いでいたこともあり、東京のCDショップで手に入る保証はない!と思い購入しました。
さっそく、帰りの新幹線内で、買ったばかりのラフマニノフ「ピアノ協奏曲5番」を拝聴---おっ---あれッ??なんと、中身はラフマニノフの交響曲2番なのです。交響曲2番の1,3,4楽章を、ピアノ協奏曲にアレンジしたものなんですね。良く見るとCDのジャケにも、その旨の英文が書かれています。
アレンジ、演奏は決して悪くないです(終楽章、とくにフィナーレはあざといですけど)。編曲者もピアニストも良い仕事をしており、試み自体はクラシックの裾野を広げるものと肯定的に受け止めています。
しかし、私が納得できないのは「ピアノ協奏曲5番」という呼び方です。
原曲は交響曲2番であり、編曲したのはラフマニノフ本人ではなく、現代の音楽家。つまりは「交響曲2番をピアノ協奏曲へのアレンジした」に過ぎず、「ラフマニノフのピアノ協奏曲5番」ではありえません。
作曲家の子孫(孫?)がピアノ協奏曲と呼ぶことに同意したらしいですが、子孫なら何してもいいのかよ?と突っ込みたくなります。
その手がまかり通るなら、シェーンベルグが交響曲にアレンジしたブラームスの室内楽曲(ピアノ四重奏曲)は、ブラームスの「交響曲5番」になります。リストがベートーヴェンの交響曲をピアノ用に編曲した作品群は、ピアノ・ソナタ34番、35番、36番--になってしまう。そんなバカな話はないすよね?
これに比べれば、作曲家の残したスケッチスコアから復元したマーラー交響曲10番や、エルガー交響曲3番、チャイコフスキー交響曲7番のほうがまだましです。(ちなみにこれら3曲はCDが出ています)
要するに、今回紹介のCDは、売りたいがため発売元が「ピアノ協奏曲5番」を掲げた噴飯物だということ。買ったことは、ジャケ記載の英文を確かめなかった私のミスで愚痴は言いませんが、首肯しかねるのは、新たなピアノ協奏曲のようなうたい文句で購入者を混乱させ、だまして買わせる詐欺まがいの商法です。
今回は売り方への不満でしたが、このほかもクラシック音楽にはグダグダな混乱があるのです。クラシック音楽関係者は、こうした問題がリスナーの不利益になることを認識の上、猛省・改善いただきたいです。
引き続き、今後も、クラシック音楽の悪しき慣習をご紹介しますので、見て笑ってくださいませ。ターカーノ、ツーメーーー。
この記事にコメントを書く/コメントを読む→ ここをクリック
音楽 ジャズの推薦アルバム! アンディ・スニッツアー「クール・ストラッティン」! [音楽]
今日は音楽ネタっす。モダン・ジャズの超傑作アルバム(新作)を購入しましたので、紹介しちゃいますね。本当に素晴らしいですよー!
本文の前に、ワタクシが、ジャズに対して、日頃、思っていること(うっぷん?)を書きます。少し長い前置きになりますがスイマセン。。。
唐突ですが、皆さん、「書道」知ってますよねー?半紙に「日の出」とか「お正月」とか、筆と墨で文字を書く、あれです。小学校でやってましたよね?
で、ジャズって、書道にすごく似ていると思うんです。
どこが似ているのか?ズバリ、「素人に理解できない(させない)事を、分かったような顔をして、ありがたがるところ」がです。
たとえば、あなたが書道の展覧会に行ったとします。なぐり書きとしか思えない「書」の作品を観てあなたはギョッとする。「いったい何がいいんだろ?」といぶかしく思います。
ところが、書の大家らしき人たちが会場でこんなやりとりをしている、「筆の運びが素晴らしいねえ」「意志がみなぎっているねえ」「空白の意味が深いねえ」。
あなたは、そんな批評がわからない。作品のどこがいいのかすら、わからないんだから。でも展示されるほどの芸術を分からないのは、自分の教養不足なんだろう、と馬鹿にされたような気分で、会場を後にする。。。。。。
ははは。このしちゅえーしょん、まさにジャズ的、これですよ、これ。
自称「コアなジャズ好き」の推薦する有名録音。CDを買ってみると、その内容に仰天&呆然です。ピアノやサックスがブイブイと自己主張。メロディがあるような、ないような。知ってる曲さえ、崩し過ぎで原曲が分からない。思いついたようなアドリブ攻撃。心地よくないなあ。そして、あなたはジャズを捨てる。チャンチャン!
ジャズの名誉のため補足しますが、ジャズはメロディ、リズム、形式の「枠」を超え、瞬間の面白さを楽しむ音楽ではあります。「ジャズに名曲なし、名演奏があるのみ」というコトワザも一理はあります。
それにしてもです、コルトレーンの「至上の愛」はそれほど名作か?バド・パウエルは、そんなにすごいピアニストか?
それを愛するリスナーがいてもよい。でも「これが分からなければ、ジャズを語る資格なし」みたいな、エラソーで排他的で、自己満足の阿呆どものおかげで、どれだけジャズがつまらなくなっていることでしょうか?
「書道」の例に戻ります。展開会でポカンとしたあなたは、作品ではなく「出口はこちら」と書いた看板の楷書文字をみて「上手いな!これ!」と感動--って場面、ありえますよね。(だって本当にうまいんだもん)。
能書きにまみれた「立派な書」より、出口案内の文字に心を動かされる。ジャズのあるべき姿は、こちらのほうだと思うんですよね。
強引にまとめますと、ジャズを「エラソーな文化」に祭り上げるなよ、と言いたいわけです。音楽に限らず、文化は、認知され、お金と結びつくとエラそーになる。ペダンチックになる。結果----つまらなくなる。(あらゆる芸術の宿命でしょうか?)
前置きが長くなりましたが、今日紹介するジャズは「立派で難解な書」ではありません。むしろ「立て看板の楷書」かもしれません。
したがってコアなジャズ・マニアには受けそうもありません。誰でもわかる「普通の演奏」をしているからです。マニア受けする「崩し」も、火を噴く「アドリブの妙技」もありません。エラソーな解説付きで人をケムに巻くような「難解」作品ではないのです。
しかし、楽しさいっぱいに、サックスの音が鳴り響きますよ。まさしくジャズの本領ではないでしょうか?私のようなジャズ素人も、素直に感動できる、文字通り「音を楽しむ」=音楽の素晴らさがいっぱいなんです!
クール・ストラッティン by アンディ・スニッツアー
1962年生まれのテナー・サックス奏者アンディ・スニッツアーのニューアルバムです。ワンホーンの4人編成。曲によってはオルガンが入るところが面白いですね。
アンディは、ロック、ポップス界で有名な奏者です。20代からローリング・ストーンズのツアー・メンバーなど華々しい経歴を持ち、ボン・ジョヴィ、クリスチーナ・アギレラのアルバム編集までやってのける才人。ロック、ポップス界で培った経験から「ブヒブヒ・意味不明ジャズ」とは正反対の、分かりやすく、心地よく、でもジャズの醍醐味を味わえる演奏を目指しているのでしょうな(深読み?)。
今回、スタンダード曲を並べていますが、全曲でセンス抜群、品の良いサックス・プレーが満喫できます。
注目曲は、1958年のソニー・クラークのハード・バップ名盤でアルバムタイトルでもある「クール・ストラッティン」でしょう。
クール・ストラッティンとは何?すまして歩く、意味だそうで、クラークのアルバムジャケット(上右写真)の有名な女性の脚を受け継いで、アンディの新譜ジャケット(上左写真)も女性の脚になってます。素足にヒール、赤いカクテル+カットしたレモンを加え、ソフィスケートした嬉しい凝りようです。(良いCDはジャケットから分かる、というのは本当ですね)
さて演奏です。クラークの名演奏が金字塔のごとくそびえるクール・ストラッティンを、アンディはどう料理するのか?その答え=ごく普通に演奏です。小技で逃げない真っ向勝負!アンディの美質のブルージーな音色を活かし、テンポをゆったりめにとった、大人のクール・ストラッティン。おおっーーーとしびれましたね。
織田裕二なら叫ぶでしょう「世界陸上はどうでもいいけど---来たぁぁぁーーーー!!」(スイマセン)。
そう、何度も言いますが、アンディ・スニッツアーのサックスは、コア・マニアだけでなく素人リスナーにも楽しめる、メロディ重視のベーシック・プレー。小手先には逃げない、誰もがわかるだけに、高い演奏能力とセンスが求められます。それでいて「個性」を付加する訳ですから、彼の技量は並大抵ではありません。
そんな難題に挑戦する「勇気あるプレーヤー」であり、新作「クール・ストラッティン」は、アンディの高いモチベーションを反映した見事な作品といえましょう。
アンディ・シニッツアーに興味をもった方には、7年ほど前に発売された前作「シュガー」もお薦めです。スタンリー・タレンタインの名作「シュガー」をアルバムタイトルに、ここでも真っ向勝負の演奏。ビリっときますよ。(ただし、タレンタインのアルバムジャケは「舌を出し、足の指をなめている」品の悪さのためか、さすがにアンディは採用していません。)
さて、次回記事も音楽ネタで、温故知新編「時代を超えても色あせない70年代のロック、ポップスアーチスト」をじっくり考えてみたいと思います。ではでは!!
アッシー映画男の昔のジャズ記事を読む:クリック→ジャズ記事1、ジャズ記事2
この記事へのコメントを読む/コメントを書く:クリック→コメント
音楽 グラミー賞にあのお方が?そしてマーチン・スコセッシが!? [音楽]
映画ネタが続いたので今日は「音楽ネタ」です。0.1tonの男さん、くっすん赤福さん、COZYさん、が思いっきり食いつきそうですね。
【その1】ああっ、グラミー賞にあのお方が!!
2月10日にグラミー賞が発表されましたが、皆様、チェックしてますかー。レコード・オブ・ザ・イヤーをはじめ5部門を制したのは、20代とは思えないガラガラ声(と容姿)のイギリス人エイミー・ワインハウス嬢。出張の機内でデビュー曲を聴いた数年前「すげー」とビックリしましたが、その後、ごった煮音楽(ミクスチャーと言っておきましょう)と、歌舞伎ばりの厚化粧へと進化(?)し、二度びっくり(+ちょっと引き気味)。
音楽的素養が抜群なのは認めますが、昨年の曲はアルコール依存症の自虐ネタ---ワタクシはこれで完全に引いてしまいました。今回、ビザが許可されずグラミー授賞式に出席できなかった件は、5年後に勲章になっているか、はたまた、そのころには素行不良で業界から消えているのか?意地悪な興味もありますね。まずは、おめでとうございます。
「男性ポップ・ボーカル部門」は常連ジャスティン・ティンバーレークさん。実は彼の音楽、ほとんど聴いたことが無く、キャメロン・ディアスの元カレだったとしか書けないんですが、2月6日ブログ記事のとおり映画「FRAT 戦慄の武装警察」に主演してます(やっぱり映画ネタかよ!?)。昨年はサミュエル・L・ジャクソンがクリスチーナ・リッチに鎖をつけ教育的監禁飼育する、ちょい変態映画「ブラック・スネーク・モーン」にも出演してました(なぜ、この映画に出る?)。まあ、カッコ良いので許す--そんなまとめでスイマセン。
70~90年代の音楽好きのワタクシは、グラミー賞受賞者にベテランの名前を見つけてうれしかったです。以下にちょっとご紹介。
アーチストが最も欲しがる「最優秀アルバム部門」はハービー・ハンコックさんがゲット!ノラ・ジョーンズやコリーヌ・ベイリー・レイとのコラボ曲が抜群で、これは納得の受賞といえますね!
「ロックソロ部門」をはじめ3部門にブルース・スプリングスティーンさんのお名前が!!あーー、嬉しくてスチャラカしちゃいます。
「ハードロックアルバム部門」はフー・ファイターズ。解散後のニルヴァーナから始まり、いまや、アメリカンハードロックのマンネリ---じゃなく「王道」となった彼ら。グラミー賞とるほどかあ?という微妙な疑問はありますが。。。
そして「ポップ・コラボレーション部門」は、おおっっっーーー、ロバート・プラント&アリソン・クラウスです!12月9日のワタクシのブログ記事で、かなりネガティブに紹介しちゃったお二人ですが、グラミー賞とりましたか。レッド・ツエッペリン時代のプラントをこよなく愛する人には微妙~な空気ですが、おめでとうございました!!
【その2】ローリングストーンズを名匠マーチン・スコセッシが映画に!
2月7日に開幕した第58回ベルリン国際映画祭(世界3大映画祭のひとつ)のオープニング作品は『シャイン・ア・ライト (原題)』でした。
ローリング・ストーンズの熱狂的ファンであるアカデミー賞監督マーチン・スコセッシが、06年の彼らのニューヨーク・コンサートを映画化したもの。もちろん未見ですがコンサート映像だけでなく、舞台裏も描かれているそうで期待が高まりますねー。
スコセッシ御大といえば「ラスト・ワルツ」で、ザ・バンドの解散コンサートを感動的に描き(1月4日のブログ記事参照)、音楽映画の腕が一流なのは証明済み。
映画祭開幕には、スコセッシ監督とローリング・ストーンズの4人が記者会見とセレモニーに登場し、異常な盛り上がりだったそうです。それにしても、ミック・ジャガーさん、64才ですよ。頑張りますねえ。。。。
ワタクシはローリング・ストーンズのコア・ファンではありませんが、スコセッシ監督ときたからには公開初日に行きたい!そんな映画ですね。楽しみ!(例によって、渋谷のミニシアター1館の公開でなければいいが。。。)
【その3】スコーピオンズの「ヴァージン・キラー」のジャケットが!
発売時(76年)、背徳的なジャケットで、当時、中学生のワタクシでさえ「これは無いのでは?」と思ったドイツのロック・バンド、スコーピオンズの名作「ヴァージン・キラー」。今回、紙ジャケットで再発されるにあたり、ジャケット写真が差し替えになったという--興味のない方には、なんのことかもわからないニュースで恐縮です。
米国はレコードジャケット写真に厳しい規制をかけており(やり過ぎの感はあるが)、とうの昔に本作のジャケは差し替えになっていました。下左がオリジナル・ジャケット、下右が差し替え後です。76年当時はまだしも、今どき、ロックだろうと、児童の全裸写真がNGなのは明らかです。
その点、日本の規制はゆるく、信じられないことですが、30年間、オリジナルジャケで本作が売られてきました。一部雑誌に「あの背徳的なジャケットだからこそ」という部分肯定するような意見がありますが、ロックを愛する人間とは思えない問題発言です。こうゆうツマラナイ事でロック文化を白眼視させてはいけないのです。
この件を取り上げたのは、日本の「規制」の在り方を変えるべきと思うからです。伝統行事の裸祭りのポスターで、男性のひげや胸毛を「不快感を与える」と問題視するなら、違う分野にも目を配るべきではないでしょうか?
たとえば、一部のデス・メタル系CDのジャケットには、相も変わらず、狂人が女性を絞め殺したり、人間の内臓を取り出したり、手足を切断したりする残虐イラストが描かれています。「売れればよい」という発想でデザインするセンスも最低ですが、そこに倫理感は無いのでしょうか?成人年齢を18歳に引き下げる議論の前に、メディアの送り手である大人こそ、しっかりすべきではないでしょうか?第一、酷いCDジャケットは買い手の嫌悪感をよび、聴き手を限定し逆効果ではないか?と思います。
---と固い話になりましたが、言論の自由、とはいえ、必然性のない「やり過ぎ」はしっかり規制しなくてはならんと考えます。
次回は、映画ネタ「陰日向に咲く」「アメリカン・ギャングスター」「スウィーニー・トッド」を予定しています。ではまた!!